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嫌われる勇気が出ない

今日、こんなnoteを目にした。

1文読むごとに、首がすわっていない乳飲み子のごとく頷いた。
もう共感の嵐。嵐超えてYou are my SOUL!SOUL!(草超えて森超えてモーリーファンタジー的なのを言いたかった)

嫌われることに対し、異常なまでの恐怖心がある。ふとした瞬間、例えば態度がそっけないとか、返事が冷たく聞こえたとかそういうときに「あの人わたしのこと嫌いかも?」と思ってしまう。そう思うと、途端に胃のあたりがキューッと痛くなってきて、食欲がのぞみ N700系くらいのスピードで消えていく。

次に自分を責め始めてしまう。あの人がわたしのことを嫌いになったのは、多分わたしの行動とか言動に問題があったからに違いないと。畳の間に詰まったホコリも見逃さないほど、自分のアラ探しをしてしまう。別の作業し始めても「あの人はわたしのことが嫌い」というテロップが頭の中に流れてくる。今なら芭蕉の「道祖神の招きにあひて取るもの手につかず」の気持ちがよく分かる。本当に取るものが手に付かなくなる。

でもほとんどの場合、わたしの杞憂で終わる。ああぁぁぁぁああわたしの思い込みだったのかぁぁぁぁああ安心したーーー!!!と頭の中お花畑になるのはいいんですが、それと同時に「なんでだよ!!!どうしてだよ!!!!!俺の3日間返せよ!!!!!」と藤原竜也並みのテンションで自責の念に駆られる。

頭では分かってるんです。今さらピーギャー泣き叫んでも、あの人がわたしのこと好きか嫌いかなんて分からないから、今目の前にあることに心血を注ぐほうが良いってことは。それでも3日間くらいそのことで頭がいっぱいになっちゃう。

いや、本当に無駄な時間だよね。嫌われているかもって思うときの大半は、その人の機嫌が悪いのと私が過敏になっているのがジグソーパズルみたいにはまってしまっただけなんだもの。ジグソーパズルみたいにはまるな!って思うよね。

そういうときに限って
「世界じゅうがだれもかも偉い奴に思えてきてまるで自分ひとりだけがいらないような気がする時…」
ってラジオから聴こえてきたりする。一曲聴き入っちゃったわ。

こんな一説よく見かけるよね。

10人の人がいるとしたら、そのうち1人はどんなことがあってもあなたを批判する。あなたを嫌ってくるし、こちらもその人のことは好きになれない。そして10人のうち2人は、互いにすべてを受け入れ合える親友になれる。残りの7人は、どちらでもない人々だ。  ※嫌われる勇気の一説

いやー、ほんまにそうなんよね。わたしの性格上、どうしてもその1人に引っ張られそうになるんだけど、一旦この一説を鵜呑みにしてみようと思う。うまく言えないけど、ここは鵜呑みがいいんだと思う。わたしは目の前にいる人、目の前にあることに心血を注いで生きるようになりたい。

だから鵜呑みでいいんだ。

うんきっとそうだ。そうに違いない。

冷凍庫をハーゲンダッツでいっぱいにします!