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「桜楽めこるがVTuberをやめる」(第二回イロカワ文学賞応募作)

 桜楽めこるがVTuberをやめる。俺はめこるを殺すことにした。

 俺にとってめこるは唯一の光だ。めこるに出会って約二年、その思いは今でも変わらない。誰にも負けない時間をめこるに費やしてきた。桃色で肩よりも少し長めの髪。向かって左の耳の上後方辺りにはまるまるっと髪がお団子状になったものがあるが、物理的にどうすればああなるのか、男の俺にはよくわからない。まあ、二次元のキャラだし、それがトレードマークの一つだし、俺が好きな部分でもあるし、問題ってわけじゃない。猫耳とかはない。髪と同じくピンク色の大きくて丸い瞳。丸顔。服は魔法少女っぽいものを着ている。俺は魔法少女に詳しくないから、っぽいとしか表現できない。
 めこるの初配信を覚えている。最初に発した言葉は「あ」だ。緊張しながら発した問いかけるような少女の「あ」。バーチャルの髪が少し揺れた。戸惑いを隠せていない様子だったが、俺の未来が共鳴するのをはっきりと感じた。この子だ、と思った。世界に俺の知らない色が足されたみたいで、この見慣れた部屋もルノワールの絵画みたいに光り輝いて見えた。食べかけて放置してあるいつのだかわからないカップラーメンでさえキラキラと存在感を放った。その配信は五分程度で終わった。桜楽は「さくらがや」と読む。俺はカップラーメンの食べ残しを数週間ぶりに片付け、ついでにデスクの上を整理整頓した。床に散らばっているものを片っ端からゴミ袋に放り込むなどし、掃除機をかけた。カーテンを開け、湿気で重くなった布団を干した。めこるのおかげだった。ああ、俺は今日から生きていくんだ、って思った。
 俺はめこるとずっと生きたかったけど、こうなった以上、葬るしかない。めこるは死によって永遠になる、とかそういうことではない。俺はいま自分がやるべきことをやるだけだ。

 初配信から半年経った頃のめこるの配信はだいたいいつも同時接続一〇〇人くらいで、雑談やゲーム配信を主としていた。自転車を買った当日と翌日と翌々日に連続して派手に転倒したためこの自転車は呪われているに違いないからとお祓いしてもらった話とか、高校二年の二学期末に行われた数学の模試で一問もわからなかったので勘で全てのマークシートを埋めて九六点だった話、中学二年の時にクラスで一番仲の悪かった男女を一年間かけてカップルにした大作戦の話などは割りとウケがよかった。ゲーム配信はゾンビ系というかダークなものが多かった。めこるは全力で怖がりパニックになり絶叫して泣きそうになりながらも視聴者に支えられてプレイを続けた。その姿に俺は自分を重ねた。かっこ悪くても失敗してもいいんだって思えた。画面の中でめこるは生き生きと生きていた。めこるの力を借りて俺は実家を出て一人暮らしをし、コンビニでバイトを始めた。
 もはや人気VTuberの仲間入りを果たしためこるだが、人気に火をつけることとなったきっかけもそのゲーム実況だ。配信を始めて一年が過ぎた頃、VTuberの最新情報を扱うフォロワー数三〇万人越えの大人気SNSメディア「VTuber情報局★バーチャルネオ」がめこるのゲーム実況の一部を切り抜いてテンポよく編集して字幕を付け「この子おもろwwwwwwおなかいたいwwww」とコメントを添えて投稿したのだ。それは『レジリエント・カルマ2』のゲーム実況で、めこるが一〇〇体以上いるゾンビに追い詰められた末にどう考えても逃げられない状態でデータをセーブしてしまったことに始まる。もちろんオートセーブ機能もあるのでゲームオーバーになったらなったで勝手に復活して安全地帯からゲームが再開されるのだが、めこるはそれを失念していて、この頓死の状態を自力で打開しなければならないと勘違いしていた。ゾンビ一〇〇体にやられてゲームオーバーになったら「くっそーなんでぇ!?」とか言いながらすぐにゾンビ一〇〇体に囲まれた頓死状態のセーブデータをロードし、当然になす術なくやられて再びゲームオーバーになり「なんだよー!! むっず!!」、またロードして当然すぐゲームオーバーになり、と視聴者はその不毛なロードとゲームオーバーの繰り返し断末魔ショートムービーを三〇分以上連続で見させられることとなった。めこるはコメントはしっかり把握してよく読み上げる方だが、この日はムキになってしまったのかゲームに集中してしまっていて、「それハマってるからゲームオーバーで再開でおけ」とか「そのままにしとけば復活するよ」とか「もうロードすな!!!コメント読め!!!」とかのアドバイスにめこるは気付かず、さすがに疲れたのか二〇回以上のゲームオーバーの末に「休憩」と虫の息でつぶやきゲームを放置、そのまま安全地帯からゲームは再開され、屈強な主人公はゾンビに撲殺されるループからようやく抜け出すことができた。やがてめこるはその平和なゲーム画面に気づき「なんでぇ?」と間抜けな声で言った。その間抜けな声が本当に間抜けだった。その動画はそれまでめこるを知らなかった人にまで届いたことが実感としてわかった。めこるがたくさんの人を笑顔にしているのは俺にとってとても嬉しい気分だった。
 この「無限ループ事件」をきっかけに、めこるの飾らないキャラもあり、視聴者が増えていった。過去のアーカイブも再生数が漸増していった。めこるは動画の編集をすることはなく、毎日生配信をしてそのままアーカイブを残すというスタイルで活動していたが、切り抜き職人によるショート動画は全てを把握しきれないほど増殖していった。誰かが切り抜いた動画を別の誰かがSNSに貼り付けてバズったりしていることもあり、めこるの人気の後押しに大きな役割を果たしたと言っていい。同時接続数が二〇〇人、五〇〇人、一〇〇〇人と増えていっても、めこるの配信内容は変わりがなく、マイペースでやりたいことをやりたいようにやっていた。つまり、従来のファンを維持しながら新たなファンを獲得していった。
 そうそう、めこる人気を地味に底上げした要素と言えば、そのざっくばらんなキャラ故の「虚無エロ」だと思う。めこるはいわゆるロリ声だが、声がでかく、ガハハハと豪快に笑うし、不快でない程度ではあるが口が悪い時もあって、女性キャラであるにもかかわらずそもそも色気を感じる視聴者は少ないようだった。ファンは多かったが、ガチ恋勢は少ない印象だった。それは視聴数あたりの投げ銭の金額でわかる。ガチ恋勢が多ければそれが高くなり、少なければ低くなる。めこるは再生数に比べれば投げ銭は稼がないキャラだった。かく言う俺もバーチャルなものにリアルマネーを投下する心境はいまいち理解できないでいる。
 ある夏の配信の終わりかけの頃、めこるは「実は今日暑さやばいから服脱いで実況してた」とカミングアウトしたことがあった。もちろんバーチャルのめこるは服を着ているが、その向こう側のめこるの中の人は裸でゲーム実況をしていた、ということだ。これは本来ならちょっとした騒ぎで、視聴者大興奮案件である。騒ぎが大きくなった場合、公序良俗に反するとしてBANされかねない。しかし、めこるの場合、「は????」「意味わからんカミングアウトすな食事中だぞ」「一ミリも興奮しない!!なぜだ!!」「めこるを女として見れてない自分に気付けてよかった」などのコメントが流れた。めこるは「なんだよおおおぉぉお前らを欲情させてやろうと思ったのによおおおぉぉクソが!!」と絶叫した。もちろんこれは配信者と視聴者の間になんとなく不文律としてある、そういうノリである。で、その中に「虚無エロやめろって笑」とのコメントがあり、それがなんとなくミーム化し、めこるが唐突に「今日パンツ洗ってなくてノーパンでさー」とか「ちょっと着替えるから待ってて」とか「今日はパンイチだわ」とか「脇くっさ!」とか言うと、決まって「虚無エロやめろ」などとコメントされることになっていた。というか「脇くっさ!」についてはそもそももはやエロでもなんでもなかった。
 めこるは毎日、決まって二〇時から配信をした。俺はどんなに忙しくても配信を逃すことはなかった。めこるの配信時間に合わせてライフスタイルを形作った。自堕落な生活はすっかりやめ、金銭的にも余裕が出てきたため、上級のヘッドセットを買った。音声がクリアになり、めこるのリアリティが増したように思った。

 配信を始めてから一年半。チャンネル登録者数は一〇万人に到達した。めこるは相変わらず、ホームセンターの駐車場で謎のおじさんが救急車のミニカーを片手に高く掲げて「ブーーン」と叫びながら走り回っている様に集まった子どもたちが「わーーあ!」と歓声をあげている謎の光景や、高校一年の一学期に同級生が弁当に顔くらいの大きさの馬鹿みたいにでかいナンを毎日持ってきていて、よほどナンを気に入ったのか三学期にはそのナンが三倍の大きさになっていた話や、中学三年の時に彼女の学力が彼氏に著しく劣っていて同じ高校に進学できないと泣きついてきた彼女にみんなで勉強を教えて彼氏と同じ高校に進学させよう大作戦の話などをしていて、ウケがよかった。『スーサイダル・ルームランナー』のゲーム実況では、ある条件下でグミを三回連続で拾うと、装備を含めた持ち物全てがグミになってしまうという致命的なバグが偶然に発動した。それが開発者に届き、修正パッチ配布のお知らせと共にめこるに感謝の意が示されるなどしていた。
 父が死んだのはちょうどこの頃だった。詳しい病名は忘れたが、昔から酒が好きで、その影響だというようなことを医者は言っていた。俺は碌でもない息子だ。

 ある日、事件は起きた。雑談配信で、めこるが世の中のスポーツドリンクを全て混ぜ合わせたら最強のスポーツドリンクができるのではないかという仮説を熱く語っていた時、「鶏胸肉」というリスナーのコメントが流れた。
「俺は今日この配信が終わったら人生を終わりにしようと思います。めこるに会えてよかったです」
 めこるはちょうど「だってエネルゲン混ぜたら色おかしくなるくね?」と言い終わったところでそのコメントを見つけた。五秒ほど黙った。「えっと」とようやく口を開き、続けた。
「鶏胸肉さん、いつもコメントくれるよね。ありがとう。……そっか。……なんて言ってあげればいいのかな。……えっと、そうだな、今日じゃなくてもよくない? 今日はさ、みんなこうやってこのくだらない配信見に来て、明日もめんどくさいけどほどほどにがんばるかーって思ってもらえれば、こんなに嬉しいことはないんだよね。だからさ、今日じゃなくてもいいじゃん。とりあえず今日はぐっすり寝てさ、また明日考えればいいじゃん。ね? ていうか前から思ってたんだけど、鶏胸肉ってなに? おもろ。もも肉じゃだめだったわけ? あはは。ほら、あなたのおかげで今めこる笑ったんだよ。胸肉って何だよ、って。きっとこの先も、鶏胸肉ってどんなネーミングセンスだよ、って思い出し笑いするんだろうな。胸肉さんの事情はわからない。でも、だから、今日はあんまり難しく考えないでみたら? 明日になってみないとわかんないじゃん。猛烈に生きたい人だって明日交通事故で死ぬかもしんないし。とりあえず今日は何も考えないで寝る。以上。約束だよ」
 めこるは配信終了直前に「おーーーい、胸肉ーー! 聞いてるよな? わかったら早く寝ろよー!!」と呼びかけていた。配信の終わり際に視聴者に呼びかけを行うことなど今までに一度もなかった。
 コメントやSNSでの反応は観測する限り全てが好意的なもので、鶏胸肉に温かい言葉をかける視聴者もたくさんいた。俺は胸が熱くなった。その配信はいつもよりほんの少し話題になって、それで終わり。そう思っていた。
 しかし、三日後、次のようなSNS投稿がめこるの配信のスクショ画像と共に投稿され、瞬く間に拡散した。

「VTuber桜楽めこる、視聴者に自殺を唆す
 視聴者「死にたい……」
 めこる「は? 勝手にすれば? ただ、私が配信してる今日は死なないでよね。縁起悪いから。明日なら死んでもいいよ。交通事故とかがいいんじゃない?」」

 画像が四枚添付されており、めこるが配信している動画を切り取って、投稿者の意図した文脈に沿うようなテロップが付け加えられていた。めこるはいわゆる言うところの「炎上」の渦中に放り込まれた。めこるが配信で「いますぐ死ねこのフライドチキン野郎!」と喚き散らした、などという突拍子もない架空の事実が独り歩きしたりもした。過去の配信を掘り起こして、めこると視聴者とのお互いにちょっと言い過ぎなノリのやりとりを大げさに捉え、拡大解釈し、正しさの名の元に断罪してくるアカウントや偏った切り抜き方をする切り抜き職人、それらを鵜呑みにして掲載するネットニュースも後を絶えなかった。二次情報だけが縦横無尽に無限増殖して行った。そんな爪楊枝ほどの情報が寄り集まって大きな燃料となり、めこるは燃焼した。悪意によるものかどうかさえ、もはやわからなかった。めこるのSNSと配信は荒れ、やがてめこるはSNS上で「お騒がせしてすみません。しばらく活動を休止します」とささやかに声明を出し、それ以降、毎日のSNSの更新も配信も途絶えた。

 めこるの配信が日常ではなくなって、俺はめこるがやっていたようにパンイチで過ごしたり、ゲームをしたり、「このボスレベチが過ぎんか???」などと大声で独りごちたりした。めこるなしの生活はひどく退屈で、酒でも飲もうかと思ったがやめておいた。数日が過ぎても世間では未だにあることないこと言っている者がいたが、新たな配信がない以上、それ以上話題の広がりようがなかった。過去のSNS投稿や配信アーカイブは過去であるが故に有限だから、いずれ掘り尽くされる運命にある。めこるが沈黙を守っているという事実が事態を収める唯一の方策だろう。
 めこるが活動の休止を宣言して一週間が経った頃、「そもそも鶏胸肉とかいうやつがあんなコメントをしなければこんなことにはならなかった」と言い出す者がおり、賛同者が増えていった。鶏胸肉のSNSアカウントはその日のうちに特定され、カツカレーの写真に「スタバなう」と書かれためこるとは何も関係ない最新の投稿には「おまえのせいだからな」「死にたいやつがカツカレー食ってんじゃねーぞ」「チキンカレーじゃないのかよ」「めこるとファンに謝れ」「さむ」などのリプライ等が大量になされた。確かに鶏胸肉のあれはいきなりセンシティブで不躾なコメントだったかもしれないが、一般人たる鶏胸肉が四方八方から叩かれていい理由にはならないと思う。俺はかつてめこるが雑談で話していた、世界中のマンホールは実は全て繋がっていてワールドワイドな迷路みたいになっており、その中のどこかにある一つの小部屋がゴールとなっていて、小部屋には寝心地のよさそうなベッドが一つ置いてあり、横になるとこの世のものとは思えない多幸感を得たまま永眠することができるらしいという話を思い出しながら、それらの罵詈雑言を全てチェックした。トップページに戻ると鶏胸肉が三分前に「めこる助けて」と投稿していたのを見つけた。それにも「どのくちばしが言ってんだ」的な反応がいくつか付いていて、再びリロードするとその投稿はなくなっていた。鶏胸肉本人が削除したのだろう。鶏胸肉は「めこる助けて」をなかったことにしてしまった。だが、俺は偶然にもそれを見つけてしまった。なかったことにしてはいけない、と思った。俺に何ができるだろうか。何かできることは。

 そうだ。俺はめこるを殺すことにした。

 俺が桜楽めこるに出会う前の話。大卒新入社員としての仕事に慣れるか慣れないかの七月頃、店舗にゾーンマネージャーの指導が入るとの情報があった。ゾーンマネージャーというのは、その県内の全店舗を統括する偉い人で、取締役の下くらいの偉さとの認識であった。そのゾーンマネージャーの名を真壁さんと言ったが、思い出すのも忌々しい。社長とか取締役とかゾーンマネージャーとかの偉い人が店舗に指導に入るらしいという情報が流れると、社員の間には緊張が走り、速やかにバックルームで在庫の整理整頓がされたり、売場の商品が美しく陳列し直されたりした。店舗が乱れていると偉い人の逆鱗に触れるからだ。俺はその時、たまたま冷蔵室で在庫の整理をしていて、たまたまモロヘイヤの在庫が過剰であった。ゾーンマネージャーは冷蔵室の壁際に積み上がったモロヘイヤの箱を指差し、「おい、これは何日分の在庫なんだ」と俺に言った。この場合の正解はきっと「ハッ! すみませんっ! 今すぐに対応いたしますっ!」とか言って、迅速に過剰在庫の対応をする素振りを見せることであった。しかし俺は「だいたい五日分くらいですかね」と返答した。「おい、これは何日分の在庫なんだ」と問われているため「だいたい五日分くらいですかね」は算数としては正解だったと思われたが、社会人としては不正解だったようである。上司には「偉い人にだいたい五日分くらいですかねとか呑気に言うな馬鹿野郎、大変なことになるぞ」と後に叱られた。そのスーパーマーケットは五県に展開していた。例の件があって、俺はすぐに他県の狭小店舗へ異動となった。およそ西に一〇〇km離れ、日本列島の背骨のような山脈を越えた先にあった。辞令が出てから一週間後に着任しなければならず、朝から晩までのサービス残業込みの仕事をしながら引越しの準備、現地に赴いての不動産の契約、その他諸々の事務作業をこなした。人間のこなせる作業量を遥かに越えていると思ったが、やらなければならないのでなんとか期限内に全てを終え、着任した。新店舗の土地は独特の方言があり、特に語尾が「っぴゃー」となることが多いと観測された。「明日は雨だっぴゃー」という感じだ。「ぴゃ?」と俺は思った。「っぴゃー」に慣れ始めた三ヶ月後、再び辞令があり、一〇〇km北上した他県の店舗に異動が決まった。冬は陸の孤島となると噂の場所であった。「ずいぶん早い異動だっぴゃー」とパートさんは言った。月に三日あるかないかの休日を費やして解いた荷物を再びダンボールに詰めた。引越しに関する諸々の膨大な作業を再びこなし、新店舗に赴いた。新たな土地では語尾に「ぞん」を付ける人が多かった。「明日は台風ぞん」という感じだ。「ぞん」に慣れ始めたその三ヶ月後、二〇〇km離れた別店舗に異動が決まったぞん。道のりとしては再び当該山脈を越え、南下して県を一つ跨いだ場所にあった。再びダンボールに荷を詰めながら、穴を掘っては埋めて、別の穴を掘っては埋めてを繰り返させられる刑罰みたいなものがあったらしいことを思った。こんな短期間で引越しをさせられている社員は他にいなかった。あの日の「だいたい五日分くらいですかね」のせいで人事権を持つ偉い人間に嫌われ、その影響で上層部でも悪い評価が跋扈し、各ゾーンをたらい回しにされているのだろうと容易に見当が付いた。着任後、俺は次の辞令を待たずに二ヶ月で体調を崩し、退職した。穴を掘っては埋めてを繰り返させられる刑罰を受けた人もきっと体調を崩していたと思う。どうせ「根性が足りない」とか「働いていない奴に食わせる飯はない」とか言われるに決まっているので、実家に帰るという選択肢はなかった。幸い、アパートは俺の名義で借りていたから、会社を辞めても住み続けることができた。部屋にこもり、貯金を潰して生活した。やがて金が底を尽き、結局は実家に帰った。そのまま長い時間が経った。

 VTuberとやらが人気で続々と増えているという記事をネットニュースで読んだ。VTuberというのは、アバターを自分自身の身代わりとして動画配信を行う配信者のことである。バーチャル空間でバーチャルを纏って活動するので、視聴者の想像力を刺激し、現実ではできないことができる。また、配信者としては年齢や容姿に縛られない点も魅力の一つだ、との記述があった。記事には誰でも簡単にVTuberになれる方法とやらが記されてあり、各種ツールやサイトへの登録等、無料で行えるものも紹介されていた。自分以外の何者かになりたかったとか、現実逃避をしたかったとか、退屈だったとか、いろいろ理由を後付けできると思うけど、とにかくその時はやってみようと思った。父親に土下座して二〇万円の捻出を頼み込んだが反応が芳しくなく、反転して強い態度に出ると細い腕からあっさりとクレジットカードが差し出された。然るべきスペックのパソコン、ヘッドセット、ウェブカメラとインターフェイスをネット注文し、翌日には全て届いた。パソコンにアバターを作成できるアプリをインストールし、おまかせでランダム生成する機能があったから、それで生成した。最初にできあがったモデルは向かって左の耳の上後方辺りにまるまるっと桃色の髪がお団子状になったものがあったが、物理的にどうすればああなるのか、男の俺にはよくわからない。魔法少女みたいな服を着ていた。悪くないと思った。女性のキャラが生成されたため、声も女性にすべきだった。記事ではリアルタイムでボイスチェンジしてくれるアプリも紹介されており、それをインストールした。背景も無料で使える適当なものを選んだ。最後に、動画配信サイトに登録をした。準備は整ったはずだ。どうせ誰も見ないだろうから失敗しても構わない、と俺は俺に言い聞かせた。
 初めての配信。「あ」と戸惑ったような幼い声でそいつは言った。俺の動きとシンクロして髪が揺れた。この子だ、この子が俺を変えてくれる、と思った。配信を終え、まずはこの子に名前を付けるべきだと思った。検索をかけて名字も名前も誰とも被っていないという理由で「桜楽めこる」とした。特に由来や意味がある名前ではないが、可愛げがあるように思った。チャンネル名も「桜楽めこる Official Channel」とした。勝手に作って勝手に活動しているのでオフィシャルもへったくれもないのだが、俺にとってはオフィシャルだし、その方が格好が付くかと思ってそうした。
 最初のうちは女性キャラらしくおしとやかに喋っていたが、疲れるのですぐにやめて思ったことを思ったままに喋ることにした。すると、少しずつだが視聴者が増えていった。めこるとして喋っている時、俺は俺らしくいられるように感じていた。別に俺は女の子になりたいわけじゃない。「らしく」って抽象的で押し付けがましいような表現かもしれないけれど、つまりは楽しかったということだ。楽しく生きたいとずっと思っていた。たまたまめこるがそれを叶えてくれた。めこるがついていれば何でもできるような気がした。

 このまま黙ってやり過ごせばやがて鎮火するだろう。やがて? やがて、っていつのことだろうか。やがて鎮火するだろうと思ってめこるの活動は休止したから、それはそれでいい。だけど鶏胸肉は? めこるはあの時、鶏胸肉を助けたかったんだろ? 俺自身がめこるというキャラクターに救われたように、根拠とかエビデンスとか再現性とかは全然ないけど、それでも生きてればもしかしたらなんとかなるよって伝えたかったんだろ? いや、違うな。違う違う。共に生きようって伝えたかったんだ。
 今しかできないことがある。鎮火するまでに鶏胸肉がどうなるかわからない。なあ、めこる。お前がすべきことは何だ? 桜楽めこるが今すべき事を俺はすべきだと思った。

 正午にSNSで配信の告知がなされた。九日ぶりのSNSの更新。桜楽めこるが活動を再開するらしいことは瞬く間に拡散され、配信前には三〇〇〇RT、一万いいねが付いていた。久しぶりの配信であることもあり、心臓が高鳴って身体が震えているのを感じた。二〇時ちょうどに配信開始。
「えっと、この度は、世間をお騒がせしまして、申し訳ありませんというか、すごく久しぶりの配信で、緊張しているんですが」とめこるは少女の声で話し始めた。ある程度の同時接続数が集まるまで、神妙な面持ちでここ最近の生活などのことをめこるは喋った。流れていくコメントを見る限り、意外にも「おかえり」「待ってた」などの好意的なものが多数だった。アンチは静観してボロが出るのを待っているのかもしれない。配信を開始して七分、同時接続が五〇〇〇人を越えた。よし、そろそろいいだろう、と俺は思った。
「実は、今日はSNSでお伝えしていた通り、重大発表がありまして。覚悟はできてますか? えっと、じゃあ早速」とめこるは言った。俺はマウスを操作してVTuberアバターアプリ、そしてボイスチェンジアプリをオフにした。「【重大発表】桜楽めこる★皆さんにお伝えしなければならないことがあります」の配信画面には、左の耳の上後方辺りにまるまるっとお団子状の桃色髪があって魔法少女みたいな服を着ているいつもの桜楽めこるの代わりに、二ヶ月くらい前に千円カットで切った髪で、肌は年相応で、だるっとした白の肌着を着た四三歳のおじさんが映し出された。「見えてますかー? 私が桜楽めこるだよー?」という声は少女の声ではなく、四三歳コンビニバイトのおじさんの声だった。コメントは荒れ、とんでもないスピードで流れて行くのが見えた。「みんなのこと騙しててごめんねー? ガハハハ!! さーて、今日はどんなお話しよっかな! 自転車をお祓いしてもらった話の後日談聞く? 高校三年の時にロブスターのエビチリをお弁当に持ってきてた人の話でもいいよ」と俺は言った。桜楽めこるの正体が四五歳くらいのおじさんだったことはその日最大のトピックとなった。桜楽めこるは死んだ。俺が葬った。鶏胸肉のことなどもはや誰も話題にしなかった。

    ※

 どうもー、二〇時になりましたね、「桜楽めこる」改め「元桜楽めこる」ですけどね、やー、こんなおじさんの話、誰が聞くんだよって感じですけど、やっていきますよー。コメントくださいね。あ、ごめんね部屋散らかってて。髪もそろそろ切らなきゃ。肌着もだるだるだし。

 鶏もも肉 こんばんは

 はーい、こんばんは。あれ、鶏? もも肉? 胸肉じゃないん? え? 元鶏胸肉の人かな?

 鶏もも肉 そうです。胸肉は死んだんです。いや、死んだって、死んでないんですけど。人生を終わりにしたかった胸肉は生まれ変わったんです。だからもも肉。ここではもも肉として生きていきます。もうあんなこと言いませんから。

 そっか、いっやー、あんたのせいで大変だったんだからな! あんたって言うか胸肉な! でも、そうなんだ、それはよかった。俺もそろそろめこるに頼らずに生きていかなきゃならないって思ってたんだ。ちょうどいいタイミングだったよ。もも肉には感謝しないとな。なーんて言うと思ったか!

 鶏もも肉 てかなんすかあのカミングアウト。全然笑えないんですけど。めこるは可憐な女の子だって信じてたのに!

 ごめんなー、騙すつもりはなかったんだけど、まー、そういうことだったんだ。これからも普通に配信していくから。やりたいゲームとか山ほどあるし、喋りたいこともたくさんあるんだよ。元桜楽めこるの配信は終わらないよ。もうあのカミングアウトした時以上の炎上もないだろうし。炎上って言うのかなあれは。まあ、もう失うものはないっすわ。じゃーそうだな、今日は暑いし、脇もくさいし、パンツ脱いで配信するかー!

 鶏もも肉 虚無エロやめろって笑



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