『積極的な孤独(Solitude)』のすすめ

最近週末はあまり人と会わずに1人で過ごす事が多い。
ほんの2、3年前は毎週末同じ面子の仲間と朝まで飲み明かすのが常だったんだけど、まあ色々あってその仲間とは疎遠になり、今は別の友人達と月に1〜2回会う程度になっている。
思えば東京に来てからは常に徒党を組んで行動していたので、自分自身と向き合うなんてことを考えたこともなかったんだよね。

それがコロナ渦をきっかけに家で過ごすことが多くなり、それまでの週末のお祭り騒ぎがパタっとなくなってからは自分自身のことを考えることが増えた。
ずいぶんと長いこと自分自身と向き合うってことを疎かにしていたんだなと今になって思う。
自分のこと何にもわかってなかったんだよね。
俺ってなんでこんなに変にプライド高いんだとか、なんでこんな他人に対して攻撃的なんだとか、自分でも説明がつかない。

だから俺の場合は自分で自分のことをもっと知る必要があった。
そしていざ自己分析してみると次々に出てくる自分の中の嫌な部分!
「俺はこんな嫌な人間だったのか、いやそんなはずはない!」
でもここがミソで、俺って自分に対して過大評価してたんだと気付いた。
自分が思い描く自分の理想の姿と、現実に存在してる等身大の自分の姿、その理想と現実とのギャップに囚われてたんだよね。
理想的な自分の姿に伴わない現実の自分の姿に本当は気付いてたんだけど、見て見ぬふりしてたんだと思う。
だからまずは自分の嫌な部分と徹底的に向き合った。
自分の中の見て見ぬふりしてきた嫌な部分ともしっかりと対峙するって、やってみて初めてわかったけどめちゃくちゃしんどい。
自分のこと知れば知るほど自分が今まで評してた理想的な自分の姿とはかけ離れてんの。
でもそこんところを目を逸らさずに向き合い続けてなんとなく受け入れることが出来るようになってからはかなり人生が楽になったよ。

未だに完全には自分の中の嫌な部分を受けいれることは出来てないし、たまにその嫌な部分がマグマのように腹の底からグラグラッと湧き出てくる瞬間もあるんだけど、そういう時には冷静に「あ、今悪いとこ出てきてますよ〜」って自分を俯瞰して見て律することができるようになった。
そのおかげでかなり人間的に成長できた思う。
他人の気持ちを考える余裕が出来た。
今まで他人の気持ちを顧みずに相手の気にしてる所を大っぴらに指摘したり、正論でぶん殴ったりして傷つけて嫌われることが多かったので、これは自分の中ではかなり大きな進歩なんだよね。

そういうわけでコロナが落ち着いた今でも積極的に自分と向き合う時間を多く取ってる。
あまり人と会わなくなったけど、それで孤独を感じることも全然ない。
今まで長いこと自分のことを蔑ろにしてきた分、もっと自分自身に寄り添って、もっと自分と対話して、もっと自分のことを知る必要が俺にはあると思う。

常に誰かといないと孤独を感じるって言う人は、以前の俺みたいに自分自身と向き合うことに見て見ぬふりしてる人なんじゃないかな。
孤独には積極的な孤独(Solitude)と消極的な孤独(Loneliness)の二種類あって、消極的な孤独が怖くて心の隙間を誰かで埋めようとするんじゃなくて、思い切って積極的な孤独を選んで自分自身との対話に勤しんでみて欲しい。
きっと孤独なんてつけ入る隙もないくらい心が満たされるはず。


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