実りの前に (短編小説)

昼どきが過ぎると、寿司屋の入口ののれんが取り外されて、駅前通りはいっそう寂しくなった。誰もいない、誰の声も聞こえなかった。ただ秋の気配だけがそこにある。風が少しだけ肌寒いような気がするのは、薄着で出歩いているからだと思う。僕に上着を貸してくれる呉服屋もなかったし、上着を僕が返してもらうクリーニング店さえもなかった。

陽が傾いて、駅前の寿司屋ののれんが取り外されてしまえば、この街には何も残らない。何年か前に、市の議会で「空が見えないまちづくり」という標語が打ち出されて以来、この駅前通りは、簡素なアーケードで全体を覆われるようになった。あの頃は反対意見も多かったが、今となってしまえば、アーケードにまもられた歩道に、僕もまた、まもられている気がする。

そもそも僕は、すでに脚の疲れがひどかったので、少しだけあそこの寿司屋で休むつもりでいたけれど、椅子には背もたれがなく、座り心地も悪くてうっとうしかったから、食事だけ済ませてさっと出てきてしまったのだった。そのせいか、朝からの頭痛も治らないし、目は針で刺されたような痛みが増すばかりだった。

僕はただ気をまぎらわすために、歩道に落ちていたどんぐりをふたつ、拾って、口にふくんだ。しばらく目をつぶってみる。少しずつ唾液がどんぐりに浸みわたっていく感覚が、舌をやわらかく刺激する。頬張ったまま、僕はじっとその場に立ちすくんでいた。今にも口が唾液でみたされてしまいそうな感覚にもう耐えられなくなり、思いがけず、水っぽくて泡だらけの唾をいちどに足元に吐き出してしまった。遅れたように、どんぐりが、ひとつふたつ、口の端からほころび落ちる。吐き出された二粒のどんぐりは、濃く湿った色をしていて、鈍い音を立てながらアスファルトを転がった。口の中には、いまだに秋の不穏なにおいがまとわりついている。

水のない砂浜にむかって叫ぶときのように、僕の鼓動がぎこちない不気味な音を立てて、ざわめきはじめていた。

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