それでも鳥は鳴いている (短編小説)

起きてしまえばいいのに,どうしても起こらないことがある。それはちょうど,肌触りのよくない服に擦られることで,体のうちの特に鈍感なところまでもが敏感になってしまうかのように,あるいはぼくの指先にある細くて小さなすじのひとつひとつが,束ねられていつしかぼくの身体の中心をつらぬいてゆく大きな運河となってしまうかのように,そのくらいもっともらしくないように思われた。夕立の音に耳を貸しながら,昨日のぼくはたしかにそのようなことを考えていたが,しかし今朝になってみてあらためてそれは少し違う気がしはじめる。ぼくには分からないことが三つある。ひとつは,ぼくの目の前にある紙きれがどうしてぼくを襲って切り分けることをしないのか。ふたつ目は,その紙きれがどうして噛み合わなくてぎこちないままに不自然な弧を描いているのか。そして三つ目に,どうしてぼくが異なるものには惹かれずに,同じものに惹かれるのか。そうしてこれらの問いをたずさえて,ぼくはまた静かな森の中に身を委ねようとしてみたが,しかし森のほうがぼくに拒絶反応を示したように見えたから,ぼくは二歩,後ずさりしてしばらくじっとしたまま様子を窺った。静かな森は,しかし静かなまま佇まっている。最近では森に入るにも,森との同意が必要らしい。どんなに足を踏み入れている途中であっても,森のほうがぼくを拒めば,ぼくはその森からは退却しなくてはいけない。ぼくは他にゆくあてもなかったので,そのまま去ることにした。自宅に帰って瓶詰めの果物の残りを食べてしまおうと思い至った。結局のところ今日も起こらなかった。きっと明日も起こらないだろう。しかしこれまでに一度も起こったことのないことを,どうしてぼくは追い求めることができようか。繰り返し思い起こすたびにより強く鮮明に描き出される記憶が,空っぽのままいっそうぼくを駆りたてる。かたい枝の先端にあるやわらかい新芽から,ぼくの汚くて濁った青春の汁が今にもにじみ出てきそうだった。初夏の,蒸し苦しい朝,それでも鳥は鳴いている。

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