自分用メモ(ツイッターから)
これ(下部:シュタイナーbot)を読んで思い出したことには、仏教でも理事無碍と事事無碍があってどちらかというと後者が上位におかれる風潮が学んだ当時からあった、ということ。私としては理事と事事はともに現出せざるをえない感。同時にこれはステージやパースペクティヴの違いでもあると思う。
ただ(それぞれの帯びがちな傾向は一端置いておいて)シュタイナーが言う場所へ戻ると、神秘主義者は理事も事事も抜けた無碍そのものを魂の位相でのみ尊重して終わりがち、と言いたいのであって、それ自身、事実