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斉藤 環 自民党ーヤンキー論について 友人と鼎談 笑)

もう十余年前の話だが、精神科医斉藤環氏の「日本人・日本文化=ヤンキー」論がけっこうかまびすしかった。模様 笑)‥。
友人たちはそれを知っており、SNS上でも「自民党ーヤンキー」論がとりあげられたことがある。

これは、朝日新聞に掲載された斉藤氏へのインタビュー記事『ヤンキー社会の拡大映す』(聞き手:高橋純子 2012年12月27日付)である。

レイさんも読んでみて!と言われた時の感想が、まだSNS上に残っていたので、あげてみよう。
その記事がまるで三者会談のようになっていたので、紹介者 JW 君と、同新聞記事の紹介者で、この鼎談の総まとめをしてくれた AW 氏、と 私(Rei) 、という対談型にしてみたい。

きのうの朝日新聞は面白かった!https://musikusanouen.hatenadiary.jp/entry/20121228/1356708562



朝日新聞 斉藤環 氏 のインタビュー記事 -1 2013/12/27
朝日新聞 斉藤環 氏 のインタビュー記事 -2 2013/12/27

[新聞記事を読んでみた感想]
Rei「日本の場合、ほんとは陥ってるのは決断主義でさえなくて、ただの既成事実踏襲の延長上の歩みにある(官僚主義的)判断だけですよね。人倫から軌道修正をせまられていると政治的責任を感じて「決断!」した瞬間なんか、すくなくとも近年では一度もないのでは?
決めやすい方向のものばかり決めてはいるけど、それはもともと「決まっていたもの」ですし。決めにくいものを(民意をすくい上げる形や方向で、つまり軌道修正を図る形で、すなわちほんとの意味の決断で)決めてくれたことはない… あ。むしろ、民意を「裏切る方向」で決めて、そのギャップを利用して決断と称するのですネw
なので民意からすれば、決められればいいってモンじゃないでしょ、ということになっちゃう 何を決めるのか、どっちの方向に決めるのかが問題と… それで虚構新聞なんかも、自民党に望むこと「なにもしないでくれ」ってことになっちゃうので」

JW「上記、斉藤環さん的に言えば、今の決断主義は、ただの「気合いとノリ」ですから(笑)。でも、本当に意味のある決断となると「知性」を必要としますから、今のヤンキー自民党にそれを求めるのは無理ってことでしょうねえ・・・。」

Rei「そうそう…気合とノリ。。あえて、日本にあるヤンキー的なもの、をさがすと、(理論的じゃないほうの)保守で、それは戦前からずっとその体質であったとは云えると思います。軍部の動きかたなんかみても。それこそ場当たり的、玉砕。それはアメリカナイズされるまえからあって、まったく本質的なものだと思います。strategyというものからかぎりなく遠い民族なのかも。
逆に言うと、仰るとおり。決断って言うのは本質的に知性を要求するものだといえるのかもしれないですネぇ。。日本人にはなかなか出来ないと… 知性と、責任ですネ」

JW「確かに日本人は、『今を熱く生きられればそれでいい!』という刹那主義的な色彩の強い民族かもしれませんね。長期的、戦略的に物事を考えるのが苦手。ヤンキー体質なんですね。そんな日本人が、半減期何万年なんて代物を相手に闘えるわけがない。中国相手に、したたかな外交なんかできるわけがない。そう思うとますます絶望的になってしまいます。」

Rei「イタリア人は、『あの緻密な日本人でさえ』対処できなかった原発に、自分達が対処できるわけがないとして脱原発にふみきれたとかって聞きました。でも自分を知っているという意味でもイタリア人に適わないし、そもそも日本人は、いちばん原発に手を染めちゃいけない民族だったような気がします。それは後世からは国際的にそう断ざれれると思う凹 外交も然りですねぇ~‥‥。
日本人には まま、緻密さとヤンキーが同居しているということなのでしょうか。イタリア人が好意的に解釈してくれる緻密さというのは、条件文[if 前文]がきちんとひとつに規定され、あくまでそれを踏み外さないという条件のもとで発揮される緻密さなので、その if 前文自体が(多角的な意味で)無効となる・くつがえされる場合にはどう対処するのか、の 場面想定そとの対処、にたいするリアルな想像力にもとづく緻密さではない――条件をはみ出せない!――ということなのでしょうね…。まあむしろ「それ(逸脱)を考えたがらない・想定外は想定しない」ということとヤンキーさは、(一見言葉の矛盾のように見えますが)、じつはつながっている のかもですネ」

JW「イタリア人が日本人を緻密だと考えるのは、多分に工業製品の完成度の高さに関係しているような気がしますね。代表格がクルマ。あのフィアットやアルファロメオの、ある意味アバウトさ(僕は好きですけど)に比べると、日本車の精密なこと。こんな精密な機械が作れる日本人でさえ、『壊れない原発を作るのは無理だった』というような文脈のような気がします。日本人は、そうした方向性が決まっている作業には、非常な粘りと緻密さを発揮するのに、最初の方向性を決めるための合意形成が下手なんでしょうね。とくに利害が対立するグループ同士の調整、コンセンサス作りが下手くそですね。だから『気合いとノリ』で押し切るしかない。日常よく見かける『まあ、まあ、まあ』と、間を取り持つ、あの超いい加減な感じ。あれが日本人なのでしょう。だからこそ、日本って、リーダーシップが大切で、しかもそれをやれる人が少ない。リーダーがしっかりと方向性を決められれば、その先はとても優秀な民族なのだと思いますよ。」

Rei「御意。方向性をむしろ決めてもらっているということなのでしょうネ。それは他者か、もしくは(既成の)流れに任せている…偶有性にも対処しない。折衝なし…。たとえ逆らいがたい流れがあっても、不断に自律的な運動への転換可能性はひそんであるのでしょうが、それを掴んで新しい形勢にし、折衝へもちこむ緊張関係に耐えられないのかな。。責任も生じますし…。たしかにこのときリスクと隣り合わせですものね。世の中のために身をすてることも或る程度要求されちゃいますし…そこではこんど、自分の世渡りだけ考えて無関係でいたり、傍観者のまま済んでしまうと思っていたりする…。逆に流れを作ることに参加する奇特な人でも、潜在的な異他性を感じるものに出会うと、潔癖なほど身ぎれいにはする(居住まいを正す?)ことに走って、そこで形勢合一を閉ざしちゃう。大極を見直してとりあえず同士であるべきと判断出来る者と)一緒に変えていく流れ、のほうには乗らないですよネ。だから対等な勢力形勢もできず、折衝にもならない。」

AW「一糸乱れず、一分のすきもない、あの『南中ソーラン』に、多くの日本人の精神性の本質を見つけたところが、斎藤環の精神科医としての分析力の鋭さのように思いました。でもそこには、いい点もたくさんあるわけで、あの統制の取れた緻密さでクルマ作りをやったらそれはそれは素晴らしいものができるのだと思います。
ただ、原発のようなものには対処できないし、少なくともリーダーは違う資質でリードしてくれないと、戦争に向けてまっしぐら!になってしまう…。
でも、そうしたことに一気に気が付く理性を持っているところも日本人の良いところで、いまは過渡期、だと思いたい……です。」

【編集後記】
原発事故直後だったので、このような総括的反省論が生まれやすかっただろう。しかし《十年一昔》、と括って終了!するわけにはいかない。これ以降、”息をするように嘘をつく”首相の統治時代を経 笑)、ますます荒廃の一途を辿ったあげくに、果ては裏金だの還付金だのキックバックだの‥という暴挙と窮極の某国にばかりひた走り、重大な転換点をむかえた国際情勢にも、乗り遅れたしまったらしい(2023年年末記)この国が物語っている、政治的・社会的・歴史的・精神的‥課題は、畢竟なんら乗り越えられてもいなかったからである。
AW氏がまとめてくれたように、そうしたことに一気に気が付く理性を持っている、のが《為政者ではなくむしろ国民のがわである》のも、何とも嘆げかわしいことではある‥。



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