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嫌いになったから別れたわけじゃないのかもな-目的論と原因論

嫌いになったから別れたわけじゃない。
別れたかったから、嫌いになったんだ。

最近、そう考えるようになった。


私が。
目的論の住民になってから、もうどのぐらい経つのだろうか。

以前はずっと原因論の世界に住んでいた。

何か良くないことが起きると、その原因を躍起になって探す。
原因さえ突き詰めて排除すれば、魔法のように現状が良くなると信じた。
なんなら悪者を仕立て上げて成敗すれば自分が幸せになれるとまで思っていた。

息子が不登校になったのは元夫からの虐待のせいだと離婚を決意した。
離婚さえすれば息子は『フツーの』男の子に戻れるはずだと盲目的に思い込んだ。

でも。

原因を突き止めて、原因を取り除いたところで、現状がすぐに変わるわけではない。

息子は不登校のままだったし。

環境が変わることに抵抗を覚えた長女とはうまくコミュニケーションがとれなくなっていた。

まだまだ幼い次女は、変わってしまった環境の中で心細さのあまり私から離れられなくなった。

決して順風満帆とは表現できない子ども3人を抱えて、自分ひとりだけがオトナで…。

家事と育児と金銭の工面と責任と…。
疲労困憊の日々。
だんだん痩せ細る身体…。

それでも。
自分の信じた道を進むしかないのだ。

その頃、目的論を深く理解するようになった。

そうだ。
離婚という原因があったから、私はこの辛い現状にいるのではない。
私が選んで、この道を進んだのだ。

家庭が穏やかで平和でさえあれば、子どもたちは心身ともに健やかに育つはず。元夫さえいなければ家庭は穏やかに保てるのだ。
そのための離婚は正しい。

だから、いま、ここにいる。

もう私は原因論の住民ではない。
「かわいそうな母子家庭の母親」に甘んじる気は、さらさら無かった。

それで私は、心の中で元夫を悪者に仕立て上げ、ヒーロー気取りで逆境を乗り切った。


それから年月は経ち。
私は私の目指していた幸せの中に暮らしている。

ふと、振り返って。

私の選んだ道は正しかった。

と思う反面。

あのころ私が悪者に仕立て上げた元夫にだって、善い心はあったはずなのにと思うこともある。
一度は好いた相手なのだ。
尊敬だってしていたし、愛情溢れる時期だってあった。

あのとき私に、もしも、家族を続ける気持ちがあったなら。
元夫の善い部分をたくさん拾い上げて、夫婦仲を再生して、家族として一緒に歩んだのだろう。

でも、私は離婚して子どもを守りたかった。
子どもだけで手一杯で、トラブルを起こす元夫のことまで抱えて生きるキャパは無かった。
モラハラ風味の元夫の再生を見守る間に子どもたちが成長して、手遅れになってしまう。
それはダメだ。
私は焦った。
だから家族から夫を排除することしか思い付かなかった。
その目的のために、元夫の悪い部分だけにフォーカスして、嫌悪して嫌悪して、離婚を決意した。

今さら、どうにかしようとは思わないけれど。

私は私の目的を果たすために、元夫を犠牲にしたんだな。
と思ったりする。

私の中では私は正義。
しかし元夫の中では私は悪者なのかもしれないな。

多面性こそがこの世の真実だ。

でも、それ以上は考えない。
それでいいのだ。

100%の正義の味方なんて存在しない。
悪者でも、かまわない。

だって。
いま目の前の、この笑顔こそが真実。