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自分の書いた言葉が人を傷つける、ということ

noteでは、通常の生活をしているだけでは触れられない、さまざまな方々の思考や気持ちや生活に触れることができる。

リアルな生活の中では。
歩いていて偶然すれ違った人が、何を考えているのか、どんな生活をしているのか、を知ることはない。

だけれども、noteでは。

ただすれ違うだけの無数の人たちが、何を考えているのかを知ることが出来る。

できてしまう。

そのことを。
ついつい忘れてしまうこともある。


私が以前に書いたこの記事では。
多くの方に不快な思いをさせた。

それゆえに下書きにしまってあったのだが、自戒の意味を込め、加筆した上で戻すことにした。

この記事を書いたとき私は。
おそらく興奮していたのだと思う。

目の前で起きた出来事を、どうにか収めた。
その高揚感で一気に書ききった。

恥ずかしながら。
私は「得意気」ですら、あったと思う。

その冷静を欠いた配慮の無さが、誰かを傷つけた。
そのことについては申し訳なく思う。

そして51歳にもなって
「冷静さを欠き」
「得意気になって」
「配慮をせずに」
記事をアップした自分についても。

くだらねーなー、と思う。


人を傷つけたと知って。
もうnoteをやめようかとも思った。

私が書くことによって。
また、誰かを傷つけてしまうかもしれない。

それから。
こんな自分が書いた記事がなんになる、とも、思った。

だけれども。

それも含めて。
やっぱり書こう。

そう思った。

この先も。
もしかしたら。
意図せずに誰かを傷つけるかもしれない。

傷つけようと思わなかったとしても、誰かを傷つけることもある。
生きていくということは、そういうことだ。

書いても、書かなくても。
私は誰かを傷つけながら生きていくのだろう。

それを。
どこまで配慮して生きていくのか。

それは、その人その人の考え方によって違うモノだし、誰かが無理矢理に何かをすることでも無いと思う。

私は私なりの配慮をして、書いていく。
意図せず誰かを傷つけてしまったとしても。


それから。

良く知らないのに
こんなこと書くのもどうかなって思うけれど。

やっぱり、書く。

「意図して人を傷つける」人間のことが、私は嫌い。

それぞれに事情があるのかもしれない。
「人を傷つけてもやむを得ない」と思えてしまうぐらいの背景があるのかもしれない。

それでもね。
人を傷つける、その行為は。
あなた自身の魂を汚して、あなた自身を傷つけている。

そのことに。
気が付いて欲しいって思う。

なぜなら。
かつて私も、そちら側にいた人間だから。