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不登校児だった長男に「俺の人生は失敗だらけだし生きる希望がない」と言われた日に送った言葉

息子へ。

今日は話をしてくれてありがとう。
ただ聞いているだけで、ちゃんと応えられなくて申し訳ない。

「学校に行かないことで自分の人生は狂ってしまった。それから失敗ばっかり繰り返している人生だから、もう、いつ終わってもいいと思ってる」って、あなたは言っていた。
でもね。
もう、あなたは忘れてしまったかもしれないけれど。
あの時のあなたは「学校に行かなかった」わけではなく「学校に行けなくなった」んだよ。
何度も行こうと頑張った。
でも行けなかった。
その気力が起きないような生活を私がさせてしまったんだよ。本当に申し訳ない。
だから、そんなに自分を責めないで欲しい。

学校に行かなかった(行けなかった)ことをあなたが失敗だと悔いている真の原因は私たち親にある。

「我が子が学校に行けなくなった」ことをすぐに受け入れられなかった器の小さい私のせい。
学歴でしか自分の存在価値を誇示できなかった養父の「学校に行かないとろくなオトナにはなれない」「学校に行かない人間は失敗作だ」という言葉たちの呪縛。
あなたを、その場に立たせてしまったこと、本当に申し訳なく思ってる。

私があの時あなたに「学校に行っても行かなくても、あなたという人間の価値は変わらないし、いまも素晴らしいままだし、心から愛している」と何度も繰り返し言ってあげられたらよかった。
でも私は思いも寄らぬ出来事に動揺してしまって対応が追い付かず容量オーバーになって自爆してしまった。
あなたに愛のある言葉をかけたり行動をとることが出来なかった。
そんな自分は器の小さいくだらない人間だと思ってる。
あの時の私を、いまでも悔いている。

そのこともあって私は今、次女が学校に行かないことを受け入れてる。
学校に行っても行かなくても人間としての価値は変わらないと伝えている。
それまでと変わらず愛してると伝えている。
私にできることは、そんなことぐらい。
成長した次女を学校に行かせるような力は私には無いし、むしろそれでいいと思ってる。

だからあなたは嫌かもしれないけど。
もし、孫くんが将来、学校に行けなくなったとしても「学校に行っても行かなくても人間としての価値は変わらない。変わらず素晴らしい存在だし、愛しているよ」と言える私でありたい。

あなたがいま抱えている辛い気持ちは、私の人生にあなたを巻き込んだ私の責任だと思ってる。

しかし残念ながらもう、私には、あなたに希望を与える力は、きっと、ないんだろうと思う。あなたは私の手を離れて自分の人生を歩いているから。

でも。
人を愛する気持ちや、人に愛を注ぐことは、生きる希望になる。
だから私は、あなたが愛を注ぐ対象である孫くんが、すくすくと成長できるよう尽力するよ。

二十数年前、幼いあなたが私に生きる希望を与えてくれたように、孫くんの命と成長が、あなたの生きる希望になってくれるかもしれない。

そしていつか、幸せだと感じることがあるかもしれない。
私が、その日をみることは叶わないかもしれないけれど、そうだといいなと思いながら、自分にできることをし続けながら、この世を去るよ。

とにかく。
孫くんと、これから産まれる新しい命のために、私は、できることをしていくよ。

過去を変えることはできない。
だけど、いまから出来ることがある。

それを私は、していくよ。
命があるかぎり。

母より。


中学生で不登校になってから、ずっと精神的に不安定のまま生きてきた息子。
いまでは、すっかりオトナになり、家庭を持ち、一生懸命仕事をして妻と子を養っている。
だから幸せに生きているとばっかり思っていた。

でも、違った。

学校に行かなかったことを失敗だと感じ、そこからずっと自分の人生は失敗だらけで、希望がないと思いながら生きていると昨日話してくれた。
※なぜ息子がそう思うに至ったか私は知っていますがnoteに書くのは憚られるので割愛します。しかし誰かが悪いわけではありませんので誤解なきよう。


私は、息子が不登校になったとき、その状態の息子をすぐに受け入れることが出来なかった。
それまでと同じように愛を注ぐことが出来なかった。
それが今の息子の自己否定に繋がってしまっている。
悔いている。
心から。

しかし、時は戻せないし、過去はやり直せない。

いま私にできること。

それは息子の生きる希望になりうる孫の成長を助けること。
いまのところは、それに尽力しようと思う。

孫の命と成長が、息子の生きる希望になることを願って。


そして今日のトーク画面。

私の送った長文ラインのあとに。
「ありがとう」の5文字が息子から届いた。