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おとうとへ贈る

きみは小さい頃から曲がったことが嫌いだった。

弱いものを苛めることも嫌いだった。

成績は姉弟の中で一番良くて、それでいてたくさん友達もいた。

女きょうだいでたった一人の男の子だったから、

友達と遊ばない日には、家の階段でコッソリと
ゴレンジャーごっこをしていたね。

「とうっ!」と小さく叫んでは、家の中の階段から何度も飛び降りていたのを、姉のわたしは吹き出したい思いで聞いていたんだよ。

きみは、思春期になってから変わったね。

それは反抗期だったのだけど、母親が忙しくて家にいないのを不満に思っていたのを、

わたしは知っていたよ。

誰よりも、

他の誰よりも母を慕っていたのはきみだったからね。

そんなきみは、女の子からもとてもモテていたんだ。

当時は携帯などない頃だったから、

家の電話にかかってくる半分は、弟への電話だった。

それも、卒業アルバムを見たというやらの、

名前も知らない女の子ばかりだったようだったよ。

わたしが出たときには、きみに声を掛けていたけれど、

きみはいつも

「いないって言って」と電話に出ることはなかったね。

妹が出たときには、弟が在宅でも妹の独断で

「いません!」とガチャ切りされていたんだよ。

知らなかったでしょ。笑

妹はいわゆるブラコンだったからね。

そんなきみが好きだったのは、優等性タイプの真面目な女の子だったのをわたしは知っていたよ。

だって、岡田有希子のデカいポスターを天井に貼り付けていたからね、そりゃわかるよ。

そうそう、忘れられない逸話があった。

わたしはある日母親に

「お姉ちゃん、勝手に牛乳を飲まないでね」と言われたんだ。

?と思っていたら、毎日5本配られていた牛乳が瓶ごとなくなっていて、牛乳好きなわたしに嫌疑がかかかったのたけど、

それは、弟が拾ってきた子ネコにあげていたものだった。

その頃の弟は、リーゼントをばっちり決めて短ランを着て歩いていたから、わたしはてっきり、

きみの隠し子の泣き声だと勘違いしてしまったんだ。

きみが拾ってきた子ネコは、

きみの部屋の暖かい場所で毛布に包まれて大事そうに置かれていた。

家では飼うことができなかったので、里親探しをしていたんだったね。


そんな優しいきみが、

こんなことになって、

わたしは本当に悔しい。


そういえば、わたしの子どももきみに懐いていた。

それは保管されているアルバムにもたくさん残っている。

生まれたばかりの子どもをこわごわと大事そうに抱っこする姿、

寝ている子どもの寝顔を見ている姿。

一緒に公園に遊びに行ったときの写真。

どれも、子どもへの愛情が溢れていたよ。

だけど、その頃からもうわたしの夫婦の仲には嵐が吹いていたんだ。

ある日、殴られて子どもを抱いて逃げ出したわたしは、コンビニで20円を借りて、きみの家に電話をした。

そしたら、

「これから行くけど一時間くらいかかるから、

お義兄さんに見つからないように隠れていて」

と、迎えにきてくれたんだ。

弟はその頃、ひとりで団地に住んでいたのだけど、

「姉と○ちゃん(子どもの名前)が家にきてくれるなら、俺はタバコはベランダで吸うし、

仕事の稼ぎはそこそこいいからずっと居てくれて構わない」と言ってくれたんだよ、覚えているかな?

思えばオシメひとつ持ってこなくて、お金すらコンビニで借りていたわたしは、

これ以上弟に迷惑をかけられないと思って、その日は帰って貰ったんだ。

子どもが実家へ遊びに行くと、必ずきみも来てくれて、いつも子どもと一緒だったおとうと。

子どもって正直だから、子どもを好きな人にしか近づかないものなんだよ。

早く結婚して、幸せになって欲しいと願っていた。

本当に。

だから、きみの口からある女性とお付き合いをしていて、真面目に結婚を考えている話を聞いたときには、

わたしはきみの結婚式用に、

自分のと子ども用のとふたつもシャネルのバッグを買いに行ったんだ。

たぶん一度に払ったお金のなかで、今までで一番高かったと思う。

そのくらい嬉しかったんだ。

きみが自損事故を起こして高次機能障害という障害を背負ってしまい、

なにもかもが変わってしまった。

『救命できないかもしれません』という脳外科の先生の言葉を何度も聞いたよ。

それでも生きていてくれてことにわたしは感謝している。

だけど、きみが結婚しようとしていたことは消えてしまったし、

その人に渡すつもりであっただろう指輪は、

そのまま、数年間弟の部屋のテーブルに置かれたままだった。

どんどん埃を被っていくそれを、わたしは悲しい気持ちで見ていた。

弟のこころの中の彼女は消えず、いつまでもそのままの姿で生きている。

Tちゃん、

事故に遭うちょっと前に、倒産セールをしていたキンカ堂へ行ったね。

子どもの誕生日も近くて確か母親も入れて四人で出かけたんだ。

わたしはテーブルクロス用の生地を2mずつ2種類買って、

きみは、お財布が欲しいという子どもに付き添って、お財布売り場を歩いていたね。

結局、お財布は買わなかったけど、

わたしの子どもは、赤ちゃんのころからずっと、

きみに懐いていたよ。

それは今でも変わらない。

 

わたしより5歳年下のおとうとへ。

わたしより早く死なないで欲しい。

わたしにきみの死に顔など見せないで欲しい。

あんなに子どもが好きだったきみは、

どんなにか、自分の家庭と子どもが欲しかったか。

寂しい反抗期を送ったきみだからこそ、

あたたかい家庭をどんなに望んだことだろう。

あんなにモテモテだったきみが選んだ女性は、

きみより6歳年上で、普通の女の人だった。

顔とか若いとか、

そういうものよりも、

中身を好きになったのだということを、写真を見せてくれたときにわかったよ。

きみは、

本当は地球に生まれてくる筈ではなかったのかもしれないね。

あまりにこころがキレイ過ぎて、

この汚い波動が渦巻く地球で生きていくのは大変だったと思う。

きみはスピリチュアルなど関係ないと話していたけれど、

わたしよりずっと早くパワーストーンを身につけていたんだよ。

おそらく理屈よりも本能でそれを身につけていたんだと、

愚かな姉は、今になって気づいています。

わたしはあの日、キンカ堂で買った生地を使うことができませんでした。

大切な思い出が詰まった生地。

安物だけど、誰にも消せない大切な思い出が詰まった品物だったから。

今日は一粒一億万倍日。

わたしのねがいは、

きみが、長生きして幸せになってくれることです。

  

例えば、

わたしの両親がさきに逝っても、

きみはきみとして、自立してだれかステキな女性と幸せになっていて欲しいと願っております。

大切なおとうとへ。

                 姉より。