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『王様戦隊キングオージャー』7話までの支離滅裂さと封建制度を子供向けで描くことの難しさ

「キングオージャー」7話まで見たが、もうさ、これ変にシリアスで複雑な平成ライダー路線じゃなくシンプルなおとぎ話路線にした方がいいんじゃないか?
あと5話で1クール目が終わろうというのに、全く話が入ってこないし、初期から散りばめられた要素が噛み合って物語のピースがハマっていくカタルシスもない。
作り手はとにかくあれやこれやと盛り上げる要素をぶち込んでくるのだが、そもそも根幹の部分である「戦う理由」が全くわからないので何をしても面白くないのだ。
そもそも国王が悪の侵略者から国を守るというプロットを戦隊ヒーローとして描こうという発想に至るのが私には全く理解できない。

以前ブログを書いていた時に「国家公務員は果たしてヒーローといえるのか?」という記事を書いたが、本作を見ていて私が感じているは正にそれである。
単に国の治安を守るだけなら警察か自衛隊がいればいいわけだし、それこそ「ドラクエ」「FF」みたいな勇者の物語にしたいなら勇者を用意すればいい。
実際「マジレンジャー」はマジトピアが選んだ特別な魔法の家系に生まれた魔法使いたちの物語だったわけだし、それ以前の「ジュウレンジャー」「ギンガマン」も似たようなものである。
それを選ばずに敢えて5人の国王が「俺が俺が」と覇権争いを繰り返しながらチームになっていくという平成ライダーの悪いとこを継承した作劇にしたが、成功とはいえない。

今回の展開にしたって、なぜ巨大サソリを暴走させた程度でギラがまた悪者になるのかも不明だし、そこから決闘に持って行こうとする流れも理解できなかった。
また、ワガママ王女の過去が描かれ両親が災害に見せかけて何者かに殺された過去が描かれたが、それがキャラの掘り下げに寄与しているわけでもない。
狙いとしてはワガママで傍若無人にすら思える生意気な小娘にも悲惨な過去があったと印象付けたいのだろうが、過去を掘り下げたところで現在進行で描けないものは描けないのである
しかもそんな過去を描いたかと思いきや、今回やっていたのはヤンマとどっちの国の技術が上かというくだらないマウント合戦で、悲壮感のかけらもない。

某アニメ監督が言っていたことだが、いわゆる歌舞伎でいう手負事(過去のトラウマを掘り下げて人物を描写する方式)は現在進行形のキャラ描写ができた上で初めて成立する
で、本作のヒメノに関してはそれが完全に失敗していて、まず初期の「民の生活を蹂躙する非常識でワガママな小娘」として描いた時点で完全にキャラ立てに失敗した。
そのマイナスイメージを覆すだけの描写の蓄積があったわけでもないし、今までの流れでヒロインらしい部分というのは最初の話以外で特別に描かれていない。
そもそもなぜ王女としてそのような性格になったのか?という思想のバックボーンが描けていないのに、過去を掘り下げたところでそれは単なる「記号」で終わってしまう。

「キングオージャー」はヒーローかどうか以前に「人間」すらまともに描けていないし、その上で王政も封建制度も勉強しておらず雑にネタとして出しているだけだ。
きちんとヨーロッパの歴史を深くまで勉強・研究して独自に戦隊のドラマとして抽出した上で筋の通ったドラマにしていればまだわかるが、その努力の痕跡すら窺えない。
じゃあこの「キングオージャー」で私たち視聴者が何を見せられているかというと、単なるCGやセットの技術紹介と玩具販促のCMだけである。
まあそんなのは今に始まり切ったことではないが、もう少し世界史の勉強や中世ヨーロッパを題材にしたエンタメをきちんと分析・研究してから作って欲しい。

そして今回改めて思ったのはスーパー戦隊シリーズという低年齢の児童向けにおいて、こうした複雑な政治や封建制度を描くのは大変困難なことである。
「キングオージャー」が失敗の予感しかしないと書いた理由は正にここにあり、スーパー戦隊で中途半端に時代がかったことをすると、途端に安っぽく見えてしまう。
なぜかというと、スーパー戦隊(というか特撮作品全般)においては一部の例外を除いて現代日本を舞台に設定して作る他に方法はない。
どれだけ時代錯誤で異世界がかった雰囲気が漂っていようが、どこかの地点で視聴者がスッと世界観に入れるように工夫する必要がある。

そこにおいて変に外連味がかったことをやるとなると、現代の若者たちが安っぽいヒーローごっこというかコントをしているように見えてしまいかねない。
私に言わせれば本作が正にそうであり、ギラをはじめ本作の登場人物は全員「中世ヨーロッパの英雄物語」ではなく「中世ヨーロッパコント」をしているように見えるのだ。
作り手はそのような批判が飛んでくることをわかっていたから、最初に歴代46のスーパー戦隊シリーズを日本全国の都道府県に適当に当てがうなんて失礼なことをしている。
そして更に「今までのスーパー戦隊は所詮日本しか守って来なかったが、キングオージャーは世界全土を守る史上最強の戦隊だ」などとハッタリをぶちかます。

だが、蓋を開けてみればそのハッタリに見合うだけの物語の内実はなく、単に作り手がいかに自分たちの作ったセットを自慢している単なる自慰行為でしかない
そもそも大森Pをはじめ、作り手はなぜ歴代のスーパー戦隊シリーズが「キングオージャー」のような作品作りをやろうと思えばできたのに避けてきたかわかっていないのだろう。
それはビジュアルだけならともかく、舞台設定や人物描写まで完全な異世界にしてしまうとリアリティーがなくなり、かえってチープに見えてしまうからだ。
また、そんな芝居がかったドラマを演じることになる役者たち自身も単なる等身大の日本人でしかないから、演技力が役に追いついておらずキャラをものにできていない。

もちろんそれをギャグにしてしまう手法もありだとは思うが、それだと「手裏剣戦隊ニンニンジャー」「騎士竜戦隊リュウソウジャー」の二の舞である。
歴代戦隊でこういう取っ付きにくい封建制度に向き合った作品が1つだけある、そう、殿と家臣の主従関係をテーマに据えた『侍戦隊シンケンジャー』だ。
あれとて賛否両論あったが、それなりに筋の通った物語になっているのは主従関係のエッセンスのみを残し、後は普通のスーパー戦隊シリーズのフォーマットに収めているからである。
賢かったのは変に史実に寄せたものにするのではなく、あくまでも時代劇に必要なエッセンスのみを抽出した「ファンタジーとしてのチャンバラ」にしたことだ。

それに小林靖子女史も決して役者が言って無理のあるセリフは言わせないという意識も強かったし、時代劇の脚本を録音テープで書き取ってその骨組みを徹底的に研究している。
だからあれだけのクオリティーの作品になったのであって、しかし「シンケンジャー」のような作品はとんでもないリスクを背負うためできても1回きりであろう。
それをわかっていたからか、同じような和風モチーフの「カクレンジャー」「ハリケンジャー」「ニンニンジャー」「ドンブラザーズ」は本格的な時代劇にはしていない。
あくまでもモチーフのみを和風にしただけで、中身は現代の若者たちが演じている普通の現代日本を舞台にした何時ものスーパー戦隊である。

別に封建制度や中世ヨーロッパファンタジーを描くなと言いたいのではない、面白く作れるだけの技量・センス・才能があるなら作ればいい。
だが、結果として出来上がったのは先人たちが積み上げてきたファンタジー戦隊の箸にも棒にもかからない、作品ですらない技術・玩具紹介の通販番組であろう。
つくづく、歴代のスーパー戦隊シリーズが慎重に避けてきたタブーに挑むのは勇気と覚悟がいることなのだなと改めて思う。

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