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デジモンにおける「進化」について、漫画とアニメの違いを中心に考察してみた

昨日の記事についてさき姫さんが物凄く詳細な熱いコメントを残してくださったのに触発されてしまいまして、そもそもデジモンにおける「進化」とはなんぞや?というのをこちらで腰を据えて考察していなかったなと思いました。
漫画『デジモンアドベンチャーVテイマー01』とアニメ『デジモンアドベンチャー』『デジモンアドベンチャー02』では「進化」の概念も扱いも全く異なるものであることを昨日は比較・検討を踏まえてざっくり説明してます。
今回の記事はそれを踏まえて、じゃあそもそも「進化」とは何か?についてをもっと深掘りしながら、漫画とアニメの比較を中心に語って行こうと思います。
最初に記載しておくと、私がデジモンにおけるあらゆる進化の中で表現として認めているのは漫画版「Vテイマー」におけるタイチとゼロマルの進化、そして「02」のアーマー進化とジョグレス進化です。

奇しくも古代種デジモン絡みばかりなんですけど、これらについて表現の差異も踏まえながら考察していきましょう。
因みに、言っておきますがアニメ無印ならびに無印組の進化について褒めるべきところは全くないので、その辺りはご了承の上で読んでいただきたく存じます。

それではいきましょう。


(1)デジモンにおける「進化」とは何か?

最初にデジモンにおける「進化」について定義しておきたいのですが、そこに入る前に一般的な意味での「進化」の定義について引用してみましょう。

1 生物が、周囲の条件やそれ自身の内部の発達によって、長い間にしだいに変化し、種や属の段階を超えて新しい生物を生じるなどすること。一般に体制は複雑化し機能は分化していく。また、無機物から有機物への変化、低分子から高分子への変化などについても用い、拡張して星の一生や宇宙の始原についても用いられる。「恒星の進化」「陸上生活に適するように進化する」
2 社会が、未分化状態から分化の方向に、未開社会から文明社会へと変化発展すること。
3 事物が進歩して、よりすぐれたものや複雑なものになること。「日々進化するコンピューターソフト」⇔退化。

https://kotobank.jp/word/%E9%80%B2%E5%8C%96-81348

一般的な意味での「進化」とはここで述べられているように「生物が複雑な高次の存在へ変質すること」なのです、共通しているのは「内部構造の高度化」「思考の抽象化」「不足している要素の追加」ですが、同時にその過程で「不要なものを捨て去ること」でもあります。
そうなんです、「進化」の一般的なイメージとしては「高次元の強さを得る代わりに不要なものを捨て去る」という代償も付き物であり、しかも一度進化したらもう以前の形態に戻ることはできないという代償を払って成立しているものなのです。
モンスター育成ゲームの二大巨頭である「ポケモン」「たまごっち」は正にこの定義に則った「進化」であり、簡単に次の段階に至ることができない代わりに、限界まで戦闘経験値を積んで高めに高めた結果進化した時の喜びや達成感は何にも替えられません。

そしてもう1つ、アニメ『デジモンアドベンチャー』『デジモンアドベンチャー02』の、特に無印の方では心の個性を表した「紋章」という名の「心の成長」がテーマとしてありましたが、ここで「成長」についても一般的な定義を引用してみましょう。

1 人や動植物が育って大きくなること。おとなになること。「子供が成長する」「ひなが成長する」「経験が人を成長させる」
2 物事の規模が大きくなること。拡大。「事業が成長する」「経済の高度成長」

https://kotobank.jp/word/%E6%88%90%E9%95%B7-86220

ここでもわかるように「成長」とは単純に物事の数値や規模感が大きくなること、そして外面的あるいは内面的な意味で「子供から大人へ」なることを意味しますが、実はここに「高次の段階へ進む」という「進化」の概念はありません
そう、「進化」と「成長」とは似て非なるものであり、だから本来アニメのように「パートナーデジモンの進化」と「心の成長」を一緒くたにして同一直線上のものであるかのように描くことの方が本来はおかしいのです。
しかも前者はあくまで「外面的・物質的なもの」であるのに対して後者は「内面的・精神的なもの」であって、そこをきちんと区別しなければならないのをアニメは混同して描いてしまっているから話が無茶苦茶になってしまうのでしょう。

これは日本人にありがちな悪癖であり、本来は主観を切り離して客観的に考えるべき要素に無駄な主観やお気持ちといった感情論を差し込んでしまうから、話の前提がこんがらがってしまっています。
特に無印はそれが顕著であり、今風にいう「お気持ちーず」みたいな話ばかりになってしまっており、本来切り分けて考えるべき「進化」を「成長」と絡めて「ただの変身」にしてしまうから「進化」の本来の価値が毀損されてしまうのです。
だって考えたらおかしいじゃないですか、パートナーたるテイマーが命の危機に瀕したらそれに呼応してパートナーデジモンがろくに戦闘経験値も積まないまま成長期から成熟期に進化って、本来ならあり得ないでしょう。
「ポケモン」だって「たまごっち」だって一貫して「滅多に進化できない」からこそ進化して次の段階に至ることに醍醐味があるのに、アニメ版の無印はそこをポンポン消費して安売りしてしまっています

「デジモン」には現在多種多様な「進化」がありますが、私がその中で認めている進化は漫画「Vテイマー」に出てくるタイチとゼロマルの進化、そしてアニメ「02」に出てくるアーマー進化とジョグレス進化です。
何故かって何度も述べていますが古代種デジモンの進化だからであり、古代種デジモンは「オーバーライト」により寿命が短いために現代種と違って生まれた時点でそもそも進化の難易度が高いのです。

(2)なぜ漫画『Vテイマー01』のゼロマルの進化はあんなにも神がかっているのか?

まず私が今まで見てきたあらゆるデジモンの「進化」の中でも、やはり漫画『Vテイマー01』のタイチとゼロマルの進化についですが、改めて何故あんなにもゼロマルの進化が神がかったかっこよさなのかを語ってみます。
一番いえるのは何と言っても単純に「ビジュアル」なんですよね、まず成熟期のブイドラモンと完全体のエアロブイドラモンは体型が太っちょで「犬ドラモン」なんて揶揄されており、ゼロマル自身も穏やかな弄られキャラです。
しかしその愛嬌とは対照的にいざバトルとなればその圧倒的パワーで他の完全体・究極体をも圧倒してしまう強さを発揮する、ここがもう私も含めて読者はそんなゼロマルの可愛さとかっこよさのギャップにやられてしまうでしょう。
素でもエクスブイモンと同等かそれ以上の怪力で敵を投げ飛ばし、口から吐くVブレスアローは数々の敵デジモンをやっつけ、更に完全体で追加されたエアロナックルとドラゴンインパルスは数々の究極体を鎧袖一触と蹴散らしてきました

しかもここに頭脳派テイマー・八神タイチの冷静沈着な研ぎ澄まされた戦術眼も加わりますから、ゼロマルの圧倒的パワーにタイチの頭脳が加わり、正にタイチの「1」とゼロマルの「00」が合わさって「勝率100%」になるわけです。
しかし、だからと言って彼らも常々敵を圧倒ばかりしているわけではありません、ライバルの彩羽ネオやそのネオの配下として現れるエイリアス3はそんな勝率100%の彼らですらも敵わない程の強さを持って圧倒します。
ゼロマルは何度彼らの凄まじい猛攻の前にボロボロにされ瀕死になったかもわかりません、しかしその逆境を「オーバーライト」の力を使って更に限界を超えようと必死に乗り越えていくのがまたたまらずカッコいい訳です。
そう、この「格上の相手に自分たちの持てるもの全てを駆使してたった1人で立ち向かっていく」という生き様や戦い方もまた彼らの魅力を底上げしてくれていると言っても過言ではありません。

そしてそんな彼らが壁という壁を乗り越えてたどり着いた最後のアルフォースブイドラモン、これがもうビジュアルもスペックも破格に強くてかっこいいというか、もうここに入ると「強い」なんて次元を超越していますよね
古代種が元々の種のジンクスとして持っていた寿命の短さをアルフォースによって克服し、アルカディモン超究極体ですらもテンセグレートシールドで攻撃を無効化し、更にアルフォースセイバーとシャイニングVフォースで圧倒してしまいます。
あらゆる究極体の中でもあの強さははっきり言って異次元でしたし、少なくともアニメみたいに簡単にポンポンと究極体になれてしまうのとは違って本当に苦しんで苦しんで壁を乗り越えてきたからこそ最後のアルフォースの格好良さが輝くわけです。
アニメに足りなかったのはこの表現力とセンスであり、だからこそ私はこのタイチとゼロマルの勝率100%コンビこそテイマーとパートナーデジモンとしての理想(イデア)を純粋に体現した存在として未だに殿堂入りしています。

これらを知っているからこそ、私はどうしてもやはり無印の「進化」の表現の安っぽさと彼らのテイマーとパートナーデジモンとしての関係性が許せないんですよね、自分たちが敵わないとわかるとすぐに絶望して泣いてしまうから。
特に暗黒進化してしまってそれがトラウマになった太一とアグモンとか、ダークマスターズの強さの前にあっさり打ち負かされて敵前逃亡してしまうところとか見てると無印組って本当に情けなくなるんですよね。
何だろうなあ、無印組って自分と同格もしくは格下相手には強く出る癖に格上相手になると及び腰になって直ぐに引く感じが私はどうにも気に入らなくて、あれじゃあただの田舎のヤンキーじゃないですか。
タイチとゼロマルとは本当に真逆です、自分たちが敵わないとわかると数の暴力によるゴリ押し、それも敵わないとなると敵前逃亡、そのスタンスが私は気に入らなかったのです。

(3)「02」で出た神々しさ満点の「奇跡の輝き」マグナモン

さて、ではここでアニメの方にも話を移していきますが、私が「Vテイマー」のタイチとゼロマルに負けず劣らず好きなのが「02」の大輔とブイモンの「奇跡の輝き」マグナモンの設定と描写なんですよね。
テレビだと20話で初登場となりましたが、何と言ってもまずマグナモンのあの洗練されたフォルムですよね、タイチとゼロマルの力強さが漲る感じとはまた対照的なスリムだけれども奥底に凄まじい生命力と神々しさが混在しているあの感じが好きでした
正直言って私はアーマー進化って違和感があったんですよね、「ポケモン」でいうとイーブイの石を用いた進化やメガ進化のような「外部の力を使った進化」の典型じゃないですか、プラス最初の方はあっさりなれたのも微妙だったのです。
しかし、そんな私のイメージを覆して一瞬にしてアーマー進化という概念を好きにさせてくれたのがあの黄金のアーマー進化であり、個人的には「聖闘士星矢」の黄金聖闘士や「ドラゴンボール」の超サイヤ人を彷彿させるかっこいい黄金色でした。

デザインの美しさだけで言えばアルフォースブイドラモンや「テイマーズ」のサクヤモンすらも凌駕するような神々しさであり、しかもその輝きの余波で疲れ切って進化のエネルギーが残ってなかった他メンバーすらも進化させてしまうのです。
単純に自分だけが強くなるのではなく周囲の仲間達まで進化させてしまうのもまた奇跡の輝きの素晴らしいところであり、しかも動いてもこれまたカッコいいので実はインペリアルドラモンより好きだったりします(笑)
まあ正直な話、話の都合とはいえキメラモンやケルビモン相手に苦戦させていたのは相変わらず気に入りませんが、数あるアーマー進化の中でもあれは特別中の特別で、しかもテイマーが大輔だから納得できてしまうという。
太一の勇気やタケルの希望、ヒカリの光のような闇を嫌悪する輝きとは違い、闇すらも暖かく受け入れて肯定してしまうようなあらゆるアーマー進化の頂点に位置するような、そんな進化だとあの一瞬で納得させてしまったのです。

正にこれこそ「進化」の醍醐味が詰まっているなと私は感嘆してしまったのです、単に鎧で強化して強くなるのではなく「内部構造の高度化」「思考の抽象化」「不足している要素の追加」という進化の要素を全て満たしていたわけですから。
あれは大輔の心の成長とは全く違う次元のところで発生したものですが、納得できうる解釈を入れるならあそこで苦戦したのはブイモンの戦闘経験値不足、連戦による疲労の蓄積、完全体・究極体相当への進化の不慣れが挙げられるでしょう。
むしろあんな悪条件の中で一度も退化することなく、ワームモンの自己犠牲同然の助力があったとはいえキメラモンに対してしっかり勝利を収めたことをこそ褒めるべきなのかもしれませんね、キメラモン自体完全体の中でも究極体相当の強さでしたし。
だからそれまで微妙だった「02」が私の中で「好き」へ変換されたのはこの回でしたし、後半のジョグレス進化も含めて一番動きとしても内容としても良かったのではないでしょうか。

そしてVテイマーの大輔とタイチの客演回ではそれを踏まえて、更に井沢・やぶてんコンビによって更にその「奇跡のアーマー進化」の具体的なメカニズムが高い解像度によって描かれたのも個人的には素晴らしかったです。
あそこでパラレルモンの中に囚われてしまったテイマー達の想いが呼応して「思い」の力に変換され、それが大輔のD−3に集約され正真正銘の「奇跡の輝き」になることでマグナモンは文字通り「守りの要」としての本領を発揮しました。
思えばアニメ版や劇場版のマグナモンは「大輔単独の奇跡」だったのに対して「Vテイマー」のマグナモンは「仲間達全員の奇跡の輝き」だからこそあれだけの強さを得てパラレルモンを倒せる強さを得られたのだと思われます。
また、これは個人的見解ですが、ここで「思い」の力によって進化するという大輔とブイモンの強さのあり方が「Vテイマー」終盤の彩羽レイとデジメンタルへの伏線になっているのではないかとも私は思うのです。

そして何より、この客演回で大輔とブイモンのキャラクターを勝率100%テイマーのタイチとゼロマルとはまた違う「純粋な善良さ」として描くことで論理的思考のタイチとは違う直感的閃きの「強さ」として描いてみせました。
私が大輔とタイチのコンビが特に大好きなのも単純に好きなキャラというだけではなく、同じ古代種デジモン持ちな上で性格的にも能力的にも賢とは違う意味で最高の相性だと思っているからこそです。

(4)「02」と「Vテイマー」の後半で出て来た「ジョグレス進化」

そして「02」と「Vテイマー」のもう1つの共通の要素として「ジョグレス進化(融合)」という全く異なる進化の要素が出てきたことですが、これの元ネタはいうまでもなく「ドラゴンボール」のフュージョンやポタラ合体です。
初出は「02」後半の大輔と賢の心が共鳴した最初のジョグレス進化の回でしたが、これもまた「ポケモン」にも「たまごっち」にもない「デジモン」独自の進化としていまだに大好きな進化として君臨しています。
私は正直デジモンの変身バンクをそれまで好きになれなかったのですが、このパイルドラモンの初進化と挿入歌で初めてデジモンの変身バンクを心から「かっこいい」と思えましたね。
デスペラードブラスターの連射音と挿入歌のイントロの「ダダダダ」の音ハメが最高に気持ちよかったのもありますが、これもまた古代種デジモンが見せてくれた新たな可能性だったのです。

上にも書いた通り、古代種デジモンは通常進化すら難しいわけですが、その中でタイチとゼロマルの神々しい「アルフォース」による進化とは違う「デジモン同士」を融合させることで新たな進化の道を切り開くのがたまらりません。
しかもオメガモンのただの合体とは違って大輔と賢、そしてエクスブイモンとスティングモンの「光と闇」というそれまで対立していた要素が1つに溶け合って高次元へ昇華されるのも素晴らしいわけですよ。
これぞまさに正しい意味での「進化」であり、なおかつ哲学でいうところの弁証法に近い概念があって、その辺りも個人的に物凄いツボに刺さって、あの筋骨隆々なエクスブイモンがスティングモンを鎧として身に纏うことで更にスマートになりました。
そして今度はそれを踏まえて、ブラックウォーグレイモンなどの格上相手に十分な戦闘経験値を積み。その上でのチンロンモンの光という外部イベントでインペリアルドラモンという皇帝龍への究極進化で更に大好きに。

基本的に私は外部イベントに頼る進化は好きではないのですが、「02」のアーマー進化とジョグレス進化が別格に好きなのはまさにそこであり、「古代種デジモンならではの進化」という特権として許されると思うのですよね。
何より「02」自体が全体的に完全体や究極体が味方側に一体しかいない状態で格上の敵と戦うという「Vテイマー」と似たようなルナティックな難易度なのもあり、その格上に大輔達が諦めず果敢に挑んでいく様が大好きなのです。
そしてそのジョグレスのメカニズムが「Vテイマー」では更に解像度高い1つの戦略として使われており、特にネオと秀人がこのジョグレスとパーティションを戦術の1つとして使っていたというのが印象的でした。
「02」が「ドラマ」として示したジョグレス進化を井沢・やぶてんコンビは更に論理的に「融合することで単独の傷も満タンに回復できる」し「何度も融合と分裂を繰り返せる」という「無限ループ」にしています。

しかし、タイチとゼロマルは更にその上を行きジョグレスとパーティションの本質を見極め「融合する一瞬の隙を狙って攻撃すれば勝てる」というところまで看破して勝つという高度な戦術を見せています。
これもこれで素晴らしく、「Vテイマー」ではヒーロー側が使わない代わりに敵側に使わせ、更にその長短もちゃんと解像度高く分析されているので、それも込みで私は古代種デジモンの進化が好きなのです。
なんかそう考えると益々アニメの無印の存在価値って何なんだ?ということになってしまうのですが、そう考えると古代種デジモンって改めて物凄い進化の歴史とロマンが詰まっていていいですね。
井沢・やぶてん先生が敢えて現代種デジモンを主人公にしなかったのは正解だったと言えるかもしれませんね、だって戦闘経験値さえ積めば順当に進化できてしまいドラマやロマンがないから。

そう考えると、「第二のタイチとゼロマル」にして「2人目のブイモンテイマー」として誕生した四ノ宮リナとブイブイってスタートラインからして滅茶苦茶きつい試練が多いのでは?
そりゃあ「デコード」で彼女がメインで活躍する策謀の魔王編だけ異常に難易度が高いわけですよね、あの世界に古代種デジモンとテイマーが自分しかいない上片割れの大輔とブイモンがいないのですから。

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