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『王様戦隊キングオージャー』19話感想〜スーパー戦隊シリーズの歴史すらろくに知らない奴が「戦隊」を撮るな!〜

どうやら19話目でやっと『王様戦隊キングオージャー』が結成されるという流れだったのだが、見ていて大変残念というか嘆かわしい思いに駆られている
たかが「真の戦隊になる」だけのことで話題になると思い込んでいる大森Pをはじめとする作り手の無自覚の楽天性とスーパー戦隊の歴史を全く知らないことへの恥の欠落が、実に嘆かわしい。
「真の戦隊になる」ことならとっくの昔に90年代戦隊が通過済みである。
だから、本当にスーパー戦隊シリーズの歴史を『秘密戦隊ゴレンジャー』からきちんと見ている熱心なファンなら周知の事実であり、決してそれは驚きや衝撃の対象にはならない。

ところが、ネットを見て回ると、どうやら新規層が「真の戦隊になる」というのを19話もかかったことに対して感動や驚きの声が上がっていることに私は寧ろ「嘘だろ?」と思えてしまう。
シリーズの歴史を知らないと、平気でこんなことに驚けてしまうのだなあと思うわけだが、何より本作は第一話からそうであるようにスーパー戦隊の歴史を知らない奴が作っている
以前も書いた気がするが、宇宙船のインタビューで脚本家もプロデューサーも「『ゼンカイジャー』『ドンブラザーズ』で1話で仲間が勢揃いしないからお約束を必ずしもやらなくていいのだと思った」と能天気にほざいていた。
それを見て「ああ、今年の戦隊は駄作だな」とわかってしまったが、案の定予想通りに本作は失敗作のセオリーを地で行く作品となっており、こんな益体もない産廃を「情報量がすごい」だのと賞賛されている事実に面食らう。

スーパー戦隊シリーズの歴史すらろくに知らない奴が「戦隊」を作るな!
そもそも第一話で仲間が勢揃いしないことも、そして「真の戦隊になる」のに話数がかかることもシリーズ15作目の『鳥人戦隊ジェットマン』(1991)でとっくにやってることだろうが!
大森!それから高登!てめえらそんなシリーズの歴史すらもまともに勉強・研究もしないで「キングオージャー」なんて腑抜けたもんを作ってんじゃねえよ!

もうこれで終わりにしてしまってもいいと思うのだが、本当に一体どこからスーパー戦隊シリーズはその歴史が進むべき道を踏み外してしまったのであろうか?
映画業界ですら現在は「サイレント映画を一本もまともに見ていない奴が映画を撮ってはいけない」と言われてるくらいだから、スーパー戦隊シリーズだって同じである。
最低でもまず『秘密戦隊ゴレンジャー』〜『未来戦隊タイムレンジャー』までのスーパー戦隊を知らない人が作ってはならないと本気で思う、もはやスーパー戦隊は「歴史」になっているのだから。
まあ大森Pに関しては三条陸と組んだ『獣電戦隊キョウリュウジャー』の時点で「ああこいつはスーパー戦隊を知らないな」と1話目のオンエアの時点でわかったが、本作で益々それが露呈している。

これだけシリーズを見込んでいれば大体予告と1話の画面を見ればわかってしまう、きちんと「戦隊」というものをきちんと見込んでノウハウやエッセンスを押さえているのかどうかが分かってしまう。
90年代戦隊から原体験として見てきた私でさえそう思うのだから、それこそ「ゴレンジャー」からずっとファンを続けてきた方は尚更のこと思っていることではなかろうか。
これはもう以前から感じたことだが、今は作り手も受け手もスーパー戦隊を「あって当たり前=空気のような存在」と思っているのではないか?
要するにスーパー戦隊が存在していることが決して「驚き」「衝撃」ではなく、「毎週日曜朝にやっている」という日常のサイクルになってしまっているようにさえ思える。

以前、自己紹介がわりのこの記事で私にとってのスーパー戦隊シリーズとは「物心ついた時から私の日常にあり、私を誘ってくれた存在」であると確かに書いた。
私が物心つい5〜6歳の時には既にスーパー戦隊シリーズは14作もあって「歴史」となっており、『鳥人戦隊ジェットマン』(1991)で非常にのめり込んだことが最初のきっかけである。
しかし、その時は打ち切りの危機が噂されていたこととは無関係に決してスーパー戦隊シリーズが毎年あるなんて思っていなかったし、だからこそ常に「驚き」の対象たり得ていた
作り手もまだこの先本当に続いていくかもわからない中で必死に模索して血道を上げていたし、だからこそ常に画面の向こう側にいる私たちに必死に届けようとしてくれているのも伝わる。

何より当時の私にとって歯痒かったのは、今みたいにDVD・Blu-ray・サブスクリプション・ネットの無料配信も全くない時代であったから、過去の戦隊で見られるものは限られていた
私が小さい頃に見ていた「ジェットマン」以前の戦隊でビデオレンタルで見れたのは精々「電子戦隊デンジマン」くらいで、後の戦隊は本当に視聴可能な環境がなかったのである。
小学生に上がる頃にはビデオデッキを父が購入していたこともありVHSで録画してテープが擦り切れるまでなんども巻き戻して見るということが癖になっていた。
実際メタルヒーロー然り勇者シリーズ然り90年代に流行していたほとんどの子供向けのシリーズは長続きすることなく次々と消えていったが、その中でスーパー戦隊シリーズだけが打ち切りを免れ残り続けた。

だからスーパー戦隊シリーズが決して「空気」ではなく「衝撃」たり得ていたのは90年代までの視聴環境の不自由さとシリーズそのものの激動期を肌で体感している私たちの世代あたりまであろう。
この奇跡と呼んで差し支えないシリーズが歩んできた歴史に対して、今スーパー戦隊シリーズを作る側も見る側もあまりにも楽天的に受け止めすぎていやしないか?という疑問が私の中にある。
もちろんそれは錯覚だと信じたいし「そんなのは思い込みだ」と言われてしまえばそれまでではあるが、どうもここ数年のシリーズとそれを取り巻く受け止め方・消費のされ方を見るに錯覚だとは思えなくなってきた。
決して懐古厨の頑迷ではなく、まさに今現在の問題として、スーパー戦隊シリーズは今度こそなくなってしまうかもしれないという危機感が失われてしまっている気がしてならない。

むしろほとんどの人が「まあ続いてくれるだけでもありがたいよね」と幾分諦めも含んだ気持ちで見ているのではなかろうか、要するにもう誰も戦隊シリーズが「驚き」の対象であることを期待していないのである。
そのことは今YouTubeでスーパー戦隊シリーズを含む特撮系の動画解説やヒーローもののまとめサイトなども含めて全体的にそういう空気が蔓延しているのではないかと思えてならない。
こないだボッコボコに叩いたゆっくり解説の動画だけではなく、最近では戦隊ロボに特化した紹介の動画が増えているのだが、いずれもが又聞きの二次・三次情報の域を抜け出ないものばかりである。
それこそ「ギンガマン」のギンガイオーの誕生経緯に関する解説動画がおすすめに上がってきたので見てみたが、どれもWikipediaに載っているレベルの薄い解説であり、見るに堪えない。

こんなしょうもない解説動画で再生数がそれなりに取れている現状に腹が立つし、第一スポンサーでも何でもないはずの一視聴者の視点でなぜ制作サイドの事情を知っているかのように話せるのか?
これならまだ役者のインタビューに特化した古原靖久TVや林剛史チャンネルのような元戦隊役者の対談動画を見る方が一次情報として聞ける分希少価値が高い。
昨日、一昨日と宇野常寛・加藤幹郎・大塚英志の本を「研究水準が低すぎる」「批評に政治を持ち込むな」と批判したが、スーパー戦隊に関する研究や批評なんてその人たちより遥かに質も基準値も低い
それでよくもまあスーパー戦隊シリーズを愛しているなどといえたものだが、そういう人たちの根っこにあるのはスーパー戦隊シリーズが「あって当たり前」だという思い込みが存在してるからではないか?

そもそもスーパー戦隊シリーズは『ジャッカー電撃隊』(1977)で一度打ち切りという「」を経験し、その後休止を挟んで『バトルフィーバーJ』(1979)で復活を遂げた。
そして改めて『電子戦隊デンジマン』(1980)で本格的なシリーズ物の基礎土台が構築されていくわけだが、シリーズ最初期に起こったこのイレギュラーを軽く見ている人が多い気がする。
そういう人たちがおそらく上原正三メインライターから曽田博久メインライターに切り替わった『大戦隊ゴーグルファイブ』を「偉大なるマンネリ」などとろくに作品も見ないでいい加減な評価を下しているのだ。
まあそれも仕方がないのかもしれない、人間という生き物は成功体験という気持ち良い美酒に酔い痴れたい生き物だし、失敗談は決してあってはならないことだと抹殺しておきたいのであろう。

しかし、そもそも数多くあるシリーズ物の中でなぜスーパー戦隊シリーズが他の仮面ライダーシリーズ、ウルトラシリーズ、ガンダムシリーズらと違って毎年続けてこられたのか?
様々なスタッフ交代や制作環境の変化、視聴環境の変化、視聴者層の変化とそれに伴うヒーロー像の変化、いろんな形で「死」と向き合いながら今日まで切らさずに続けてこられている。
そこには少なからず「」の要素があるしたまたまそういうポジションであることが許されて成立しているからかもしれないが、この47作も切らさず続いてきた事実を楽天的に受け止めてはならないと思う。
別に意図的に懐疑的・批判的になる必要はないが、少なくともスーパー戦隊シリーズが「あって当然の空気のような存在」と思ってコンフォートゾーンに心があり続ける限り、真に面白いものは生まれない。

そんな風なことをもうすぐ物語も折り返しに近づいている「キングオージャー」の前半とそれに伴う反応などを見て私は感じ取った。
今度こそ本当にスーパー戦隊シリーズは終わりが差し迫ってきているのかもしれないなあ、商品ではなく「作品」として。

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