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『デジモンフロンティア』(2002)簡易感想〜「超ドラゴンボールヒーローズ」のPVアニメみたいなのを1年間延々とデジモンで見せられている感〜

そういえば、今まで見てきた作品の中で『デジモンテイマーズ』と『デジモンフロンティア』の感想については一度も出していなかったので、ちょうど今デジモン熱がぶり返しているので書いておこうかと。
以前も述べたように、デジモン作品の中で全話見ているのは漫画版『Vテイマー01』と初代『デジモンアドベンチャー』『デジモンアドベンチャー02』『デジモンテイマーズ』『デジモンフロンティア』の5作品。
映画だと『ぼくらのウォーゲーム』『ディアボロモンの逆襲』『前編 デジモンハリケーン上陸!! 後編 超絶進化!!黄金のデジメンタル』、そしてこないだの『02 THE BEGINNING』のみだ。
したがってそれ以外の作品に関しては完全な未見であるが、先日の映画以外の評価をそれぞれに書いておこう。

  • 『デジモンアドベンチャーVテイマー01』 評価:SS(殿堂入り)100点中120点

  • 『デジモンアドベンチャー』 評価:C(佳作)100点中60点

  • 『デジモンアドベンチャー ぼくらのウォーゲーム』 評価:S(傑作)100点中100点

  • 『デジモンアドベンチャー02』 評価:D(凡作)100点中50点

  • 『デジモンアドベンチャー02 前編 デジモンハリケーン上陸!! 後編 超絶進化!!黄金のデジメンタル』 評価:A(名作)100点中80点

  • 『デジモンアドベンチャー02 ディアボロモンの逆襲』 評価:C(佳作)100点中65点

  • 『デジモンテイマーズ』 評価:A(名作)100点中85点

  • 『デジモンフロンティア』 評価:F(駄作)100点中0点

今回はこの中でF(駄作)の「フロンティア」について論じていこう。かなりの酷評なのでファンの方は閲覧注意。


魅力が薄い拓也達のキャラクター

まず本作最大の難点は主人公である神原拓也達のキャラクターの魅力の薄さにあり、これだったら別に「デジモン」の名を借りずともコロコロコミックやコミックボンボンでいいと思った。
その中でもやはり主人公たる拓也の魅力の薄さと言ったら半端ではなく、それまでの歴代主人公に比べて圧倒的に魅力がなさすぎて、最後まで見終えても全く活躍が印象に残っていない
少なくとも「Vテイマー」「デジアド」「02」「テイマーズ」の主人公達は私の個人的な好き嫌いは別としても何かしら「突き抜けている」と思しき要素はあった。
勝率100%テイマーの八神タイチがいうまでもなくそのトップに来るが、アニメの方の太一もその背中から醸し出るカリスマ性とリーダーシップは捨てがたいものがある。

また、大輔は確かに前半で散々な扱いを受けたがそれですらも「三枚目」としてキャラの味になっていると共にいざという時に見せる突き抜けた人徳・男前ぶりが正に「奇跡」の子だと感じさせた。
そしてその3人に比べて派手さはない泣き虫であるものの、いわゆる内向型の夢想家に振り切った松田タカトもいわゆる野比のび太や碇シンジ君のような「根暗主人公」の路線を綺麗に全うしている。
つまり、既存のデジモンシリーズの主人公は絶対その主人公でなければ成立し得ない「唯一無二の個性・才能」を何かしら持っていて、それが劇中の試練や活躍と共に描かれていた。
しかし、拓也にはそういう歴代の主人公が持っている「突出した唯一無二の個性・才能」というものがなく、本当にただのテンプレートな爽やか熱血主人公のハリボテから出ることはない。

主人公の拓也でさえ魅力がこれだけ薄いことは同時に他のキャラクターのつまらなさにも繋がっていて、本作で初めて主人公とヒロインがいわゆる「相思相愛」という関係にも関わらず、泉のキャラも面白くないのだ。
さらに「ゴレンジャー」でいうキレンジャータイプの柴山純平もいかにもな「カレー食うデブのやつはこんなイメージ」の領域から抜け出ることはないし、輝二と輝一の双子も絵に描いたようなライバルキャラから抜けることはない。
全員が初期で設定されている表面以上のキャラクターの魅力が作品全体を通して全く見えてこないために、結果として現在配信中の『超力戦隊オーレンジャー』(1995)並の空気に成り下がってしまっている。
せめてバランスが歪でもいいから主人公の拓也とライバルキャラの輝二さえしっかり立たせられれば「02」並みの評価にはなったであろうものを、そこすら立っていない時点でもはやF(駄作)にしかならない

そもそもデジモンの漫画・アニメシリーズの魅力というのは主人公たちが一見わかりやすいキャラ付けのように見せておきながら、実は内面に割と複雑さやトラウマを抱えているところがギャップに映っていたのではなかろうか。
劇中で一番子供っぽいと思われていた大輔やミミ辺りが実は人間性に関しては一番の大人で、逆に一番大人っぽく見える太一・ヒカリ・ヤマト・タケル辺りが実は一番子供じみていたりもする。
その表面上のサラッと見える部分だけではわからない魅力がデジモンの漫画・アニメシリーズの魅力だったはずであり、そこの魅力を本作は完全に蔑ろにしてしまっているのが問題だ。
しかもメンバーのバランスも後述するが如何にもスーパー戦隊シリーズのキャラ付けで、「デジモンで戦隊をやってみました」にしかなっておらず、「だから何?」ということになってしまう。

そしてその「デジモンで戦隊をやってみた」が単なる登場人物の差配だけではなく、本作のバトルシステムにも影響を与えている。

デジモンはいつ変身ヒーローになったのか?

そしてヒーロー側である拓也達の最大の問題は「人間がデジモンに変身する」という設定にしてしまったことであり、とうとう禁じ手である「変身ヒーロー」を作り手はやってしまったのである。

デジモンはいつスーパー戦隊になったんだよ!?

人間がデジモンに変身するという設定自体は確かに本作にしかない設定ではあるが、こんな設定にしてしまったらそれこそ東映特撮のスーパー戦隊や仮面ライダーとの違いがなくなってしまうであろう。
確かに「デジモンアドベンチャー」の時に批判としてあったのが「デジモン達は戦っているのに人間が戦っていないのはおかしいではないか」であり、これを解消するために「テイマーズ」ではテイマーがデジモンと融合していた。
いわゆる「Gガンダム」や「エヴァンゲリオン」のような人機一体のようなシステムであるが、これが好評だったのを作り手は勘違いして「じゃあ本格的な変身ヒーローにしてしまえばいい」と思ってしまったのだろう。

しかし、「モンスター育成」が根幹にあるはずのデジモンでそんなことをやってしまったらそれはただの変身ヒーローにしかならず、かといってそれを「デジモン」として成立させる手法を当時の作り手が持っているわけがない。
そもそも本作に限らずデジモンのアニメシリーズの発起人である関弘美プロデューサーは元来「ママレードボーイ」「おジャ魔女どれみ」などの女児向け漫画・アニメを中心に手がけてヒットさせてきた人である。
つまりデジモンのアニメシリーズの変則的なやり方、すなわちポケモンのような「飼い主とペット」のような関係ではなく対等な「相棒」としての絆や心の試練を乗り越えるというやり方は如何にも女児向けの手法なのだ。
いわゆる少年ジャンプのようなゴリゴリの「肉体や気を鍛え上げて戦闘力を高める」というものではなく(それをやったのがセイバーズの大門マサル)、「心の試練を乗り越えることが成長につながる」という方式である。

この手法自体は00年代作品群の1つのスタンダードにもなり、それこそ『ふたりはプリキュア』にも継承されていくのだが、「デジモン」はそういう意味では男児向けというよりむしろ女児向けのテイストが実は強いのかもしれない。
だから、そういう「繊細さ」を本作はキャラ設定以上にこの「人間が直接デジモンに変身する」という設定でもろとも失ってしまい、かといっていわゆるジャンプ漫画のような王道熱血路線にもシフトすることができなかった。
こんなことを言っては何だが、例えば「02」の本宮大輔は本来であればデジモンではなくポケモンにいそうな主人公像であり、それこそ同時代のスーパーマサラ人のサトシと大差ないのだが、サトシとの差を決定づけたのはその「繊細さ」である。
一見王道の熱血主人公と見せておきながら、実は相手の心情を本能で理解していたり相手のことを悼んで涙を流せたりするような優しさがあって、サトシにはそういう「女性性」とでも呼ぶべきものが根本的に欠落していた。

それが同時にスーパー戦隊シリーズとの違いにもなっていて、やはりスーパー戦隊シリーズはどこまで行こうと男児向けだから滅多なことでは涙を流せないし、デジモンほどメンタル面でのややこしいこじらせはあまりない。
その上で5人が1つに揃った時にバチっと決まる格好良さこそがスーパー戦隊の醍醐味なのであって、デジモンは決してそのような「スーパー戦隊的なるもの」で作品の魅力が成り立っていたわけではないはずだ。
それとも何か?今まで複数の登場人物を出した群像劇スタイルで成功してきたから、作品ごとスーパー戦隊シリーズに寄せた作りにすればもっと男の子が喜ぶとでも勘違いしたのであろうか?

スーパー戦隊シリーズを舐めんなよ!関弘美、貝澤幸男、富田祐弘、てめえらが易々と手を出して何とかなるほどスーパー戦隊シリーズの歴史は浅くねえんだよボケが!

負け続きの展開が悪いのではなく敵の脅威が全くない

本作がつまらない3つ目の理由に主人公たちが終始劣勢を強いられる負け続きの展開が多いことが挙げられるが、個人的には負け続きの展開自体が必ずしも悪いことばかりではないと思っている。
例えば『伝説の勇者ダ・ガーン』は勇者シリーズでも屈指の主人公が劣勢を強いられる負け続きの作品であったし、それこそ私の子供時代のバイブルであった『ドラゴンボール』も実は勝ち星より負けの方が多い。
孫悟空が最強というイメージがあるが、実は物語全体で見ると悟空の勝ち星は意外と少なく、無印時代にやった天下一武道会も3回中2回は負けて3回目でようやく優勝だったし、サイヤ人編以降も単独で勝てた試しがほとんどないのである。
それでも面白かったのはやはりキャラクターの魅力がしっかりしているのが大前提にあり、その上で「ああこりゃ主人公たちが劣勢を強いられても仕方ない」と思えるほどの脅威感が敵方にあった。

それこそ初代『デジモンアドベンチャー』もダークマスターズ戦は絶望感強めの展開だったし、「02」も終盤になるとブラックウォーグレイモンやデーモンなど実はとんでもないレベルの究極体が敵として出てくる。
それでも面白かったのはやはり敵も含めたデジモンたちのキャラ立ちがしっかりしていたからだし、その劣勢をどう跳ね返していくのか?というのがむしろ見所となってくるのであるが、本作はそこも弱い。
まず主人公たち拓也の魅力からして薄いのだから、その敵対勢力となるデジモンたちの魅力もまた薄くなってしまい、後述するロイヤルナイツも含めて本作で印象に残っている敵が一人もいないの問題だ。
強いて言うならばルーチェモン辺りはかろうじてその魅力がないわけではない、なぜならば既存のシリーズで「味方」であった天使が悪として出てくるという発想自体は意外性があったからである。

しかし、本作はそれだけ大きなスケールで物語を展開していながら、脚本も演出もそれを成り立たせるだけの技量がなかったせいか、結果として敵の脅威感が全くなく「どうせ最後には勝つんでしょ」としか思えない。
本作に関しては特に終始劣勢続きだったことがかえってあだになっていて、これが前半をストレートに勝ち進む展開にして、後半が強大な敵の前に苦戦を強いられるという展開にすればまだ違っていたであろう。
負け続きにしてしまうとそれだけでも主人公たちに「弱い」というイメージしかつかない上に、終盤になってまでその勝ち方・負け方の描き方がきちんと説得力あるものになっていないので余計に印象は下がってしまう。
まあそもそも上記したように関弘美を始め本作の作り手はそもそも男児向けのバトル物の文法を体得していない人たちが作っているわけだし、以前も述べたがデジモンシリーズのバトルのクオリティーなんて下の下だ。

そのただでさえあまり評判の良くなかったデジモンの戦闘シーンのクオリティーを完全に地の底にまで沈めた上にギガデスで粉砕してしまい既存のシリーズの良かった点を全部スポイルしてしまったのが本作である。
負け続きの展開にするならするでそこをどう乗り越えていくか?を「デジモン」として考えるべきだったのに、本作は作り手がそこを大して詰めずに作って大ゴケしてしまったわけだ。
そもそもデジモン自体が決してバトルシーンで成り立っていたわけではなく、子供たちの人間ドラマありきで成り立っていたという本質を見失って奇策に走って大失敗してしまった。
策士策に溺れる」とは正にこのことを言うのであり、そもそも子供向けに対して斜に構えていて王道の展開をどこかで嫌っている関弘美らをはじめとする作り手の悪いところが全て裏目に出たのである。

そのくせタイトルだけは「フロンティア(開拓者)」などとつけているのだから乾いた笑いしか浮かばない。

なぜロイヤルナイツが敵に回らなければならないのか?

そして最後に一番の疑問は「なぜロイヤルナイツが敵に回らなければならないのか?」であり、これに関しては本当にただただ頭に疑問符がつくばかりである。
まあ個人的に本作に出てきたロイヤルナイツはロイヤルナイツの皮をかぶったただの劣化コピーでしかないという認識だが、本当にこれだけは理解に苦しんだ。
しかもご丁寧にアルフォースブイドラモン・オメガモン・デュークモン・マグナモンとそれまでの主人公たちが使役してきたデジモンたちだから余計に「?」である。
それまでヒーローとして描かれてきたものたちが敵に回るなんて、それこそモンスター育成ゲームだと「ポケモンゴールド・シルバー」の最後のレッドしか思いつかない。

私は別にロイヤルナイツに思い入れがあるわけでもないし信者でもないが、それでもやはりそれまでの主人公たちが使ってきたロイヤルナイツのデジモンたちはどれもカッコよく演出されていた。
漫画版のタイチが進化させたゼロマルのアルフォースブイドラモン、大輔が二回進化させたマグナモンに映画で進化させたインペリアルドラモンファイターモード、太一とヤマトが進化させやがったオメガモンにタカトが辿り着いたデュークモン。
いずれもが素晴らしく演出されてきただけに、余計に本作でそれが悪の側として出てくるのが謎でしかなかったし、しかも上述するように悪役としての演出も微妙で、こんなのに勝っても全くカタルシスがない
主人公たちの扱いも微妙、敵キャラの扱いにも全く魅力が感じられない、そしてロイヤルナイツの完全なる安売りとどこを取っても「ガキ向け」の悪い作品に成り下がってしまった。

これではデジモン「フロンティア」ならぬ「ディストピア」ではないか、是非とも彩羽ネオあたりに本作の世界ごと消滅させてほしい、それまでのデジモンシリーズの全てを完全に終わらせてしまったゴミなのだから。
だが、これを見ていると私はふと『超ドラゴンボールヒーローズ』を思い浮かべてしまう。ヒーローズも正にこうやって歴代の「ドラゴンボール」が積み上げてきたものを希釈してどんどんその魅力をスポイルしてしまっている。
というより、「ヒーローズ」のPVアニメ製作陣は本作を参考にして作ってしまったのではないかと疑いたくなるくらいに本作はやってはならない駄作のセオリーを地で行ってしまったのだ。
これは完全に作り手の怠慢としか言いようがないであろう、ここから「セイバーズ」まで実に4年もの間が空いてしまうが、間違いなく元凶は本作のできの悪さにある。

なぜこうなったかはわからないが、本作で大爆死した関弘美は更に翌年も『明日のナージャ』なる世界名作劇場路線の時代錯誤なアニメを作って大爆死してしまい、しばらく東映アニメから干されるという末路を辿ってしまう。
『ママレードボーイ』に『おジャ魔女』、さらには『デジモンアドベンチャー』と偶然の要素が色々重なってたまたま上手くヒットしていたのに胡座をかいて自分の実力と勘違いした結果ではなかろうか。
詳しい内情は知らないが、少なくとも作品のクオリティーを見る限りでは作り手の傲慢さと怠慢がこの結果を招いたという他はなく、一切擁護すべき点のないF(駄作)の新境地を開拓したといえるだろう。

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