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何でもかんでも尺を縮めれば良いってもんじゃねえんだアホンダラ!『ONE PIECE』が単なる「長く続いてるだけ」の作品だと思うなよ!

マジでアホかと頭を抱える今回の『ONE PIECE』再アニメ化案件だが、流石に今回は事が事だけに無視を決め込む訳にはいかないので、今回もこれに付き合っておいてやろう。
まずこの記事に関してはツッコミどころしかない訳だが、特に個人的に「いやそれは絶対違う!」と全力で反論したくなったのはこちらのくだりだ。

原作と並走しながら長期スケジュールでじっくりアニメ化する昔ながらのスタイルもいいが、『鬼滅の刃』や『呪術廻戦』のようにコンパクトに作品をまとめれば、新規ファンがもっと入りやすくなるはずだ

そんな訳あるか!

そもそも『鬼滅の刃』『呪術廻戦』と『ONE PIECE』では作品が始まった時の制作体制から時代性から何からまるで違うのだから、「週刊少年ジャンプ」という理由だけで同じ括りにするな
もうここまで固定のファンがついて日本どころか世界にまたぐ人気作品になった『ONE PIECE』に今更新規層なんか取り込む必要はない、そんなことをしなくても十分すぎるほどの経済効果はある。
それに、仮に今WIT STUDIOが作り直したところで、今の若い人たち(Z世代〜α世代)にとっての原体験の作品に『ONE PIECE』がなり得るのかといえば絶対的にそれだけはあり得ないということは強調しておきたい。
第一、今の子供たちは少年漫画の主人公よりもSNSにいるトップのインフルエンサーの方に憧れを持っている傾向があるのだから、こんなことをしたところで焼け石に水でしかないと思うのだがなあ。

どんな作品だって評価とは別にして、それが作られた時代背景と歴史の蓄積といったものが着実に存在しているわけであり、どんな作品もそれが作られた時代性と切り離して語ること・理解することはできない。
確かに、その作品を純粋にフィクションとして楽しみ消費する時にはあくまで「現在」の作品として見るわけだから関係ないのだが、その作品に対する考察・知見を深めていくとなると話は別である。
『ONE PIECE』が連載開始したのは1998年、ジャンプ漫画も『ドラゴンボール』に取って代わる次世代の看板漫画やそれを手がける天才作家の発掘に腐心していた時代だ。
しかも鳥島編集長がインタビューで述懐している通り、何度も社内で反対を食らいながらも産みの苦しみを伴って生まれたわけであり、それが今日ある国民的漫画・アニメに育つという予想もされていなかった。

私自身『ドラゴンボール』の最終回完結を境にジャンプ漫画への熱も薄れていったし、実際『SLAM DUNK』『幽☆遊☆白書』『ダイの大冒険』らもどんどん完結を迎えていく。
そんな中で『ONE PIECE』が今でいうゆとり世代の子供達にとっての王道となり得るかどうかは乾坤一擲の賭けであっただろうし、私自身も最初はあまり期待していなかった。
その荒波を乗り越えてポスト『ドラゴンボール』となり得るほどの大ヒットコンテンツになり得たからこそ今の『ONE PIECE』の姿があるのであって、それと「鬼滅」「呪術」を混同しないで欲しい
旧ジャニーズに例えるなら『ドラゴンボール』はSMAP、『ONE PIECE』が嵐のようなものであり、「鬼滅」がSixTONES、「呪術」がSnow Manみたいなものではないだろうか。

『ドラゴンボール』は昭和ジャンプ漫画の伝統・黄金律をバラバラに解体して斬新な戦闘アニメの表現と物語の方法を確立し日本を超えて世界中で人気を博す「脱構築」の作品であった。
その「DB」の脱構築の精神を継承つつも少年漫画としての次世代のロマンを継承し20年以上にも及ぶ長寿の物語に仕立てたポスト黄金期のニュースタンダード像を作り上げた「再構築」が『ONE PIECE』である。
そんな時代背景や制作も知らずに『ONE PIECE』の新作アニメという形のリメイクを作ることを許さないで欲しいし、ましてやそれを「鬼滅」「呪術」と同列のラインで語らないでいただきたい
『ONE PIECE』はポスト『ドラゴンボール』の名に相応しい土台を改めて作り上げた作品であり、「鬼滅」「呪術」はすでにそこから15年以上のレールが出来上がった上で後発者利益に預かっている作品である。

「『鬼滅の刃』や『呪術廻戦』のようにコンパクトに作品をまとめれば」とあるが、「鬼滅」「呪術」をはじめとする今の週刊少年ジャンプの方針は「長くても5年で完結する作品」だ。
『ドラゴンボール』が思わぬ長期政権になってしまったことの弊害が出てしまった反省点から一部の作品を除いて今では5年以上の長期連載はあまり認められていない、その方がサイクルが早いからである。
しかし、『ONE PIECE』はとてもじゃないが尺をコンパクトにまとめきれないほどに情報量が膨大な作品であり、だから現在1080話以上になってしまうのは仕方ないことなのだ。
しかも『こちら亀有公園前派出所』とは違い一話完結ではないのだから、大河ドラマもびっくりの引き伸ばしの形になってしまうことは不可避の事態である。

「国内外で日本産アニメのブームが巻き起こっている現在。その火付け役の1つだったWIT STUDIOが『ONE PIECE』を手掛ける」とあるが、そもそもWIT STUDIOだってそんなに大したアニメ会社ではないだろう
確かに『進撃の巨人』『スパイファミリー』は大人気の名作であるが、それは大元となる原作漫画の魅力が根底にあってのものであって、別にWIT STUDIO自体のオリジナルアニメーション自体がすごいわけではない。
結局は私の思想や文章のスタイルを完全に丸パクリしているどこぞの無礼を働いたエピゴーネンと大差はなく、『ONE PIECE』というビッグコンテンツにあやかって美味しい思いをしたいだけのことではないか。
そもそも本記事を書いているKNとかいうライターの記事を私はいくつか拝見したことがあるが、こんな質の低い適当な文章でよくお金を頂いて生活しているものだと思う。

「サブカルチャーの最前線を追いかけている」とプロフィールには書いてあったが、氏が手がけた記事をざっと見る限り下調べや推敲が不十分な状態で書いているのが素人目にも明らかである。
巷に溢れかえっている三流のゴシップばっか書いている週刊誌と大差はなく、そんな奴がこんな雑な仕事でサブカルチャーというものを語らないで頂きたいし、それを金儲けに利用しないで欲しい。
こういう恥もプロ意識もない連中が余計に囃し立てているから変なイメージが付いてしまうわけだし、マスゴミっていつまでもクソだと叩かれ国民からいつまで経っても信用されないのだろう。
『ONE PIECE』という作品は確かに長い、しかし単に長いだけでここまで続いてきたわけではない、そこには原作者をはじめとする作り手の莫大なエネルギーをはじめ色んな要素が複合的に噛み合って成立しているのだから。

まあそもそも宇野常寛しかり大塚英志しかり、日本のサブカルチャーにはいつまで経ってもかつての蓮實重彦や淀川長治レベルの世界に通用する批評家・評論家が育たない理由がよくわかった気がする。
果たしてこの記事が「書かされている」のか「自由意志で書いている」のかはしらないが、何れにしても想像力も知性も全く感じられない人の書いた文章であると判断して差し支えあるまい。
たとえ懐古厨だとか老害だとか叩かれようが、私自身はこんな不正義を助長するような記事に賛同するつもりは一切ない、たとえnoteの片隅であってもかける限りのことは今後も臆せず発信していく所存だ。

舐めるなよ。

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