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こういうのをこそ正に「アイドル批評」というのではないか?

ダイノジが嵐というグループならびにその楽曲を非常に確かな視点と素人にはわかり得ないプロならではの知識と愛をもって批評してくれていて、別にファンでもないのに思わず見入って聞いてしまった
「アメトーーク!!の嵐大好き芸人にお声がかからなかった」と言っていたが、私に言わせれば出なくて正解だし、仮にお声がかかったところでこんなに切れ味があり深い嵐批評は聞けないであろう。
こういうところにこそ、正にテレビという戦後日本が生み出した文化の限界があると同時にYouTubeという今の時代に最適なメディアが誕生したことの良さがあるのではないだろうか。
単純にアイドル批評を行っているだけならば、吉田豪というライターが既に地位を確立しているが、彼の場合はやはり男性アイドルよりも女性アイドルに重きを置いて批評しているように思える。

いわゆるスーパー戦隊シリーズもそうなのだが、私がなぜバラエティー番組をあまり見ないのかというと、結局は「撮れ高」「視聴率」「ウケ狙い」ばかりを考えた構成と内容にしかしないからだ
特に「アメトーーク!!」「怒り新党」はそれが顕著であり、例えばスーパー戦隊シリーズのことを触れた時も、いかにもネットミームで流行っているレベルのどうでもいい話題にしか触れない
例えば「ゴレンジャー」の後半から出てくるゴレンジャーハリケーンのネタいじりやダイレンジャーの名乗りのアクションがいかに凄いか、などいずれもが戦隊ファンなら周知の事実ばかりである。
そうではなく、プロならではの目線で確かなスーパー戦隊シリーズの批評・語り下ろしを聞かせて欲しいのに、結局のところ構成作家・演出家・芸人たちにその着想と視点が根本的に欠けているのが残念だ

それを思えば、テレビでポジショントークなところはあるにせよ映画評論家として短いながらに的確な語彙で映画を批評していた淀川長治がどれだけ異質かつ偉大な存在かがわかろうというものだ。
それだけではなく、生前の黒澤明とビートたけしの映画作家としての対談もあって面白かったし、昔のテレビは猥雑なものが多かった代わりに凄く良質で面白い番組もまたあった。
しかし今ではそれほどの価値がある番組もほとんどなくなり、良質なドラマもお笑い番組もなくなって、どうでもいい粗雑なバラエティーと大して役にも立たない報道番組が大半を占める
目先の利益にばかりこだわった結果がジャンルの先細りと縮小再生産に至り今の体たらくに繋がっているわけであり、決してインターネットの一般層への普及やネット文化の台頭だけがテレビ文化衰退の理由ではない。

話を嵐に戻して、「ガンダム大好き」「戦隊大好き」の回で失敗してしまった以上、どうせ「嵐大好き」なんてやっても失敗すると思ってはいたが、案の定失敗に終わったと私は見ている。
まず出てきた芸人のほとんどが出す話題が「いかに嵐が仲の良いグループか」ということと「嵐の楽屋裏がいかに素敵だったか」というどうでも良い楽屋レベルの裏話しか出てこない。
嵐が楽屋裏でも仲のいいグループだなんてのはわざわざ芸人たちが力説しなくても彼らが残した番組や作品をみれば分かることだし、そんなのはそれこそ飲み屋談義で十分である
私が期待していたのは上記の動画でダイノジ(特に大谷)が確かに知識と愛をもって嵐の個々のメンバーとグループの特徴、楽曲をきちんと批評してより魅力を深掘りしてもらうことだ。

しかし、そんな話はあまり出てこなかったし、メンバーの話についても尺不足なのかひな壇芸人の力不足なのか、櫻井翔・相葉雅紀・松本潤の3人以外の大野智や二宮和也のことが掘り下げられていなかった。
ライブの楽曲「UB」という相葉・二宮のデュオソングの解釈でネットでプチ炎上が起こったらしいが、そんなことよりも嵐というグループの魅力・総合力の高さがきちんとプロの目から批評されないことへの憤りがある。
別に私は嵐ファンでもジャニーズファンでもないが、SMAPと並ぶ国民的スターとして平成の芸能界を牽引してきたこのグループについてきちんとプロ目線でそれを批評する人が少ないのが誠に嘆かわしい。
映画については著名な批評家が沢山いるし(お○ぎと○ー子は論外)、特に北野武は活動初期からその作家性や残した作品のすごさが日本を超えて世界でも評価されるほどに名声が高まったというのに。

私自身はダイノジのお笑いそのものはピンと来ないし好きというわけでもないが、彼らが愛をもって語ってくれる男性アイドルグループ批評、特にSMAPと嵐に関しては間違いなく確かな視点と愛・知識を持って語っている
もちろんこんな批評など必要ない国民的スターであるから残してくれたコンサートなどを見て体感するのが一番いいのだが、こういうプロの批評・評論をきちんとしてくれる人もまたエンターテインメントには必要だ。
今まで楽曲やダンスのすごさ、人間性の良さといったところで嵐を批評・考察している人たちは多数見かけるが、こういうプロ視点の短くもエッセンスが詰まった中身の濃いアイドル批評は私が見たところダイノジしかいない
変な忖度もしておらず純粋に嵐というグループの総合的な完成度の高さ、楽曲のクオリティーの高さ、個々のメンバーの魅力とそれがグループとして掛け合わさった時の魅力をこれだけ的確に言語化した人がいるだろうか?

中田敦彦のアカデミックな語りとも違う。

比較として見てもらえれば分かると思うが、中田敦彦が語っているこちらの動画は「嵐というグループの魅力」ではなく「嵐がYouTube進出したのをどう見るか?」という「ビジネス戦略」の観点での話だ。
いかにも慶応卒らしいアカデミックな語りなのだが、聞いていてダイノジの批評にあるような「刺激」「驚き」「衝撃」といったことへの純粋な批評家というとそうではないだろう。
同じお笑い芸人というくくりでも「中田敦彦のYouTube大学」とダイノジが学生服を着て中学生っぽく語ることの違いは正にここにあり、同じ「お笑いのプロ」にも関わらず視点も語り口もまるで違う。
それは単なる芸風の違いや学歴の違いというだけではなく、嵐というグループに対する「感度」と「解像度」の違い、即ち「批評のアプローチ」なるものが全く異なるのである。

中田敦彦の語りは学生時代にストイックなまでに勉学に励んできた人間の知識と教養に裏付けられ、そこに自分なりのリズム感と色を付け足してできた正に「大学の講義もどき」を聞いている感じ。
だから知識量も語彙力も豊富ではあるのだけれど、自分の解釈が必要以上に挟まれているところがあるし、場合によっては単なる知識自慢というか蘊蓄の披露になりかねない側面がある。
それに対してダイノジの語り口はもっとシンプルかつ感性的な部分によるものが多く、知識や教養というよりは「知性」と「批評眼」の先天的な資質がそもそも素晴らしい
「勉強になる」という意味では中田敦彦に分があるのだが、「批評としての刺激・面白さ」という点においてはダイノジの方がはるかに鋭く、短い言葉でも的確に本質を言い当てている。

例えば二宮和也の歌の批評についても「歌が上手いという言い方には語弊がある。歌が上手いというより、ボーカリストとして凄い!」という言い方は本当に適切であった。
そう、単純な歌のうまさだけでいえばリーダー・大野智やKinKi Kidsの堂本光一、NEWSの増田貴久などがいるが、二宮和也のソロシンガーとしての魅力は「歌のうまさ」それ自体ではない
「役者」としての感情の入れ方と緩急のつけ方、繊細さと大胆さのバランスといったところが二宮和也というアーティストの本質といっても過言ではないのだが、それを短いフレーズで的確に表現していた。
こういう鋭く的確な批評を中田敦彦ができるかと言われればできないであろうし、またそれは他の芸人でも同じようなことだろう。

ダイノジの地味に「巧い」と思うところは自分たちが決して一般受けをしない割とマニアックな位置付けであることに自覚的ながら、それを活かしたアイドル批評を行っていることだ
大谷も大地もどちらもその意味では「批評の天才」だが、大地がやや直情径行気味に感動を言葉にする人に対して、大谷の方がやや論理的かつ俯瞰した目線でSMAPや嵐を批評している。
だからダイノジのアイドル批評は正にそれを聞くものの「現在」を刺激してくるし、「なるほど」と同時に「確かにそうだ、その視点はなかった」と思わずハッとするような発見があるのだ。
この批評眼の感度と解像度の高さと言語化能力の組み合わせが高度なレベルでできるのがこの2人であり、今更ながらに素晴らしい批評を聞かせてもらった。

カジサックは「共感能力」と「道化体質」でゲストに来た人たちの本音を引き出すのに長けており、中田敦彦は自分が蓄積して来た知識や教養をベースに論理的な分析と考察に長けている。
対してダイノジの言語化能力はそのどちらとも違う先天的な批評眼・審美眼の的確さとそれを高い感度と解像度を表現する「鋭い視点の観察眼」なのだ。
一般受けはしないしマニアックではあるのだが、もっとこういう刺激的な批評ができる人がスーパー戦隊などの特撮にもいればなあと思えてならない。

少なくとも今の衰退したテレビ文化では、こういう充実した語りを聞くことも見ることもできないことはまごう事なき事実である。

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