見出し画像

喪服を買うということ

恥ずかしながら、私は喪服を持っていない。

過去に葬儀に参列したのは学生の頃で、制服というものがあった為必要なかった。
その後もお通夜に顔を出した程度。
私の親族はお通夜は黒っぽい服なら構わないという考えなので、余計に喪服を買う機会がなかった。

結婚後、喪服は急に必要になるから買って置いておこう。と何度も考えたけれど結局買わず仕舞い。
なんとなくタイミングが無かった。といえばそうなのだけど。
今思えば逃げていたのかもしれない。
喪服を買うということは、誰かの死の準備をすること。まだ死んでいないのにそんなことをしたくなかったのだと思う。

そんな私に喪服を買うタイミングがやって来た。

祖父が亡くなったのだ。
まだまだ若く、余生を楽しく過ごしていた矢先だった。
親族の皆が皆、予期せぬ死に同様し慌てた。
早すぎると皆が言う。
健康体で何度も病の淵から帰って来た祖父。
今回もそうだろうと私は安易に考えていて、面会も行かなかった。

だが、現実は違った。

人は逝く時こんなにあっさり、そして呆気なく逝くのだ。
これを書いている今もなんだか実感が湧かずどこかフワフワしている。
亡くなった祖父の顔を見ても、寝ている様で余計に死んだなんて思えない。
結局、最後に会ったのはいつだろうと考えるくらいだったら、会いに行けば良かったと思うのは後の祭り。

可愛がってくれた祖父の為に、私は喪服を買いに行く。新しく綺麗な服でお別れを、そして会いに行かなくてごめんねと謝る為に。

やっぱり喪服を買っておくべきだったと思ったりもするけれど、どこか現実味もない今回の死を乗り越える為に必要なプロセスだと思っておこうと思う。

喪服を買うということは、案外自分自身の心の準備の為に必要なことのかもしれない。
残された人に出来ることは、礼を尽くして見送るだけだから。
私は祖父に最大限の礼を尽くして最後のお見送りをしたい。




この記事が参加している募集

今こんな気分

サポート費用は美味しいスイーツに充てたいと思います。