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連続する景色は脳裏へ夕焼け小焼け

"公園で子供を見ながらニヤニヤする不審者です"

20後半まで時々こう言って自己紹介してたのだけど、流石に30過ぎていよいよ本気で疑われてしまう歳になったからか、あまり言わなくなっている 笑

子供の発想力の豊かさにはいつも驚かされる。。。予想だにしない角度からその鋭い感性のままに言葉をヒュンっと投げてくる。

脳裏にずっと焼き付いてる公園での子供達のやりとりがある。


1匹の蜂がぶんぶん公園を飛び回っていた。


女の子「はちさんがきました。おまわりさんたすけてください!」

男の子「おまわりさんです、ほんじつはへいてんしました」


僕はもう、この二言のやりとりだけでニヤニヤしちゃうのだ。蜂が現れて慌てて大きな声で助けを呼んでかけてく女の子もそうだし、おまわりさん閉店しちゃったよ!?と男の子には心の中でついツッコミたくなる。 

そりゃあ、頬の筋肉だって弛むでしょって。

時々子供達が遊んでたボールがこちらに転がってきたりなんかすると、ふとその瞬間に妄想する。


ここで僕が超絶テクニカルなリフティングを繰り出してからボールをパスできたら、ここにいる子供達にモテモテになれるのになぁ…なんて。


まぁ実際は運動音痴なので、普通に笑顔で手渡してしまうのだけど…


ちなみに小さな子供になら簡単にちょっとモテる秘密道具がある。その名もシャボン玉だ。

僕は大人になっても時々シャボン玉を一人、公園でぴゅーぴゅー吹いている。

すると小さい子がシャボン玉に触れようときゃっきゃっ手をかざしたり、よたよたと追いかけだす。


それを見るだけでもう浮かばれる。この世に未練などはない←


まぁ、モテてるのはシャボン玉の方で僕ではないか。。。


僕はそういえば昔から公園がとても好きだった。大人になった今でも結構好きだ。


公園には子供も犬もおじいちゃんもおばあちゃんもいる。僕の好きがそろうのだ。おじいちゃんと孫なんてとてもハッピーセットだと思う。


公園からは少し遠ざかるが、もう何年も前のこと。その日は確か土曜の昼下がり、大阪から地元の奈良への帰省途中の駅での回想である。


駅の名前は橿原神宮前駅、地元へ向かう電車はその駅が始発だった。なにせ田舎である。電車の本数もそれほど多くなく、土曜の昼であっても電車の中は割とガランとしていた。


僕が電車の座席に座ると、目の前には優しそうなおじいちゃんが腰掛け、隣にはあたりをくるくる見回しながらも大人しくちょこんと座る、幼稚園の年長さんくらいの子供がいた。


「この電車はぁ〇〇行きの〇〇電車でぇす。途中停車駅はぁ〇〇、〇〇、大和八木、〇〇、〇〇…」


抑えた低音でクネクネと発する癖のある男性の声。電車の車内アナウンスだ。


そこでふと子供がおじいちゃんに訊ねる。
「どこのえきでおりるのぉ?」


おじいちゃんはにっこりと答える。
「八木駅だよ」


子供はちょっと首をかしげてまた訊ねる
「いま、(しゃしょうさん)やぎえきっていったぁ?」


「……」
おじいちゃんは優しくにっこり笑うも何も答えない。



子供はちょっと不安げにまた訊ねる
「ねぇ、やぎえきとまるっていったぁ?ねぇいったぁ?」


「……」
おじいちゃんは微笑みながらぼーっと遠い目をしていて、もはや声は届いているのかいないのか。


子供は不安そうに足をバタバタさせながら、おじいちゃんの服の裾を引っ張っている。



八木駅止まるよ!!!!
僕は心の中で叫んだ。



おじいちゃん教えてあげてよぉ!!!!
とも 笑


孫とおじいちゃんの会話は大体、ちょっと噛み合わない。そしておじいちゃんはちょっと頼りないから、子供は不安になっちゃうのだ。


不安そうにしてる子供にはちょっと申し訳ないのだけど、この光景がほっこりする。どちらも可愛くて愛おしい。



おばあちゃんと犬というハッピーセットもある。
逆にこちらは意思疎通がぴったりに見える。


夕日を正面に、どこかのおばあちゃんが道をゆっくり歩いていた。手に持ったリードに繋がれた芝犬は何歳だったのだろう?慣れているのかおばあちゃんの手を強く引くことなく、下を見ながらペースを合わせて軽快に歩いていた。


「今日は偉かったねぇ」
歩きながらポツリとおばあちゃんがそう呟くと小さな芝犬は顔をふとあげておばあちゃんの方を向く。横顔が少し凛々しかった。


「〇〇さん達と会ってる間も一度も吠えなかったもんねぇ」
とおばあちゃんが芝犬の方を向いて声をかける。芝犬はおばあちゃんの顔を見つめながらも心なしか少し雄々しく歩く。


「そうでしょうとも。そうでしょうとも。」
凛々しい顔は相槌を打ちながら、そう誇らしく自分を讃えているように僕には見えた。


その後何度もおばあちゃんが柴犬に声をかけながら夕日に向かって歩いていくのだけど、その度にちゃんと顔をみて耳を傾けるもんだから


噛み合わないおじいちゃんと孫とは対照的におばあちゃんと犬はとても通じ合うもんだって、僕の脳裏にはそんな風に焼き付いている。


ここまで読んでくださりありがとうございます。
最近子供と触れ合う機会があって思い出した、たわいの無いおじさんの昔話。

昔を懐かしむことは増えたけど、ノスタルジック、エモーショナル、そんな言葉はちょっと嫌いたくなるお年頃。


本物の不審者として通報されないようには気をつけないといけないお年頃。

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