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「我慢するのが正解」と思ったのは、怒られたくないから

先日、夫に言われたことがある。
「目覚まし時計を勝手に止めないで、『止めろ』と言ってくれ。それから、鳴ったことに気づいたら(起きる意思があるから設定しているので)起こしてくれ」と。至極、当然の主張だ。
だが、ここで私は自分の認知の歪みに気がついた。

「旦那の目覚まし時計が鳴るより前に起きないのかよ」というのは私も重々理解していることなので、スルーさせてほしい。

過去の話になるが、夫は目覚まし時計をすぐには止めない人間だ。音は聞こえているが、「止める」というところまで意識がいかないらしい。まあ、わからないでもない。朝って眠いもんな。
でも、だ。私は目覚まし時計が鳴ったらすぐに止める人間なので(そして二度寝する)、永遠に大音量で鳴り続けるものを放ってはおけず、最初の頃は私が勝手に止めていた。これは、私が悪かった。私が音に気付いているのだから、夫も気づいていて、そのうち起き出すのだろうと勝手に判断していた。

このときから、「目覚まし時計を勝手に止めないでくれ」と言われていた。そして私は、「だったら自分でちゃんと止めろよ」と思っていた。加えて告げられたある一言が、私の認知の歪みを生み出す要因になる。

「ぬえは、繊細だなあ」

これをきっかけに、夫の目覚まし時計がどれだけ鳴り響いていようとも、自分で止めることをやめた。「鳴ってるよ(怒)」と、声をかけることも止めてしまった。

なるほど。私は、目覚まし時計に過剰に反応してしまっていて、それはダメなことなんだ。夫が自分で止めるまで放っておくのが正解なんだな。と、認識がここで決まってしまった。

ここで冒頭に話を戻すが、先日夫に「『止めろ』と言ってくれ」と言われたとき、「え?」と思ってしまった。いやいやいや…言っていいの? でも、言たってすぐ起きないじゃんか、君。むしろ言ったら機嫌悪そうにするやん…。(親に甘やかされて成長し、社会経験も乏しいせいで、私は誰かの気分を害したり、怒られたりすることが苦手だ。)

これについて伝えると、「確かに機嫌悪くなるかもしれんけど、だからって言わないのは違う」と。それもそうかもしれない。私だって、実家暮らしの頃は両親にたくさん迷惑をかけた自覚がある。私がどれだけ苛々しようと、母は私が頼んだ時間に声をかけてくれていた。

〝『止めろ』と言ってくれ〟

己の認知の歪みと、親のありがたさに気づくきっかけになる一言だった。


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