『蝉』#255

気づけばミンミンゼミがいなくなって、ツクツクボウシとヒグラシの鳴き声ばかりになった。
やかましさと、死の間際に地面で暴れまわる様子と、7日間の地上活動の刹那さで、夏の季語に使われたり人生観の例えに使われたり、比喩での出番が比較的多い虫で、確実にアメンボよりも会話や文章での登場機会は多い。
いまアメンボを対置したけど登場機会の少ない虫って、そもそも思い出すことさえ難しい。初めのうちに思い出していた虫たちは、それなりに比喩とか慣用句に使われることが多いし、動詞や形容詞でその虫に特別よく使われる言葉もあるしで、会話や物書きにも虫って結構存在感あるなと思うわけでした。
ハエがたかる。ダンゴムシが丸まる。蝶のように舞い、蜂のように刺す。とか。先の2つ、ハエとダンゴムシは季語にはならんな。
セミに限らず、季節を象徴するものは私たちの体感より先に来ることはない、というのが季節感の面白いところで、「あ、暑さ厳しくなってきたな暑いぞ」と思う頃にはまだ鳴き始めることがない。それは気候の変動にセミが付いてこれていないのか、そういうことでもなく時間の関係なのか、わからない。ただセミは、暑さを加速・増幅させる頃合いでやってくる。“ただ暑い日”に、セミの鳴き声が加わることでやっと、“夏の暑い日”を実感する。暑くて、鬱陶しいセミの鳴き声が、いま、無くて寂しく感じる。セミの鳴き声が小さくなっていって、寝苦しい夜が去って鈴虫の鳴く声が聞こえ、秋の気配を身近に感じる。
私のパートナーは家の周りで今年、223匹分のセミの抜け殻を集めたらしい。一部限定手書き出版された新聞の特集記事の1つとして、研究レポートのように書かれていた。
そのせいか、まったく関係ないか、よくわからないのだがドラゴンボールをこのあいだ読み返した。人造人間編。17号と18号にコテンパンにやられた戦士たち、セルの誕生(というか脱皮)、精神と時の部屋での修行で超サイヤ人を超え、そして完全体となったセルのカッコよさと強さ。読み始めてしまうと止まらなくなるのがドラゴンボール。好きな漫画で1つと言われたらこれだ。セルはセミを模しているけれど、初めの脱皮以外セミらしくない。生体エネルギーを、尻尾を人間に突き刺して吸い取ったり、ピッコロの血を引いているから再生したり、脱皮してからさらに完全体を目指すし、、そりゃ漫画のキャラクターなのだからセミじゃないわけだから文句は言えんが、ほぼセミらしくない。ただ、タイムマシンを使って未来から来てまた卵に戻って孵化して脱皮、この「セミが未来から来る」ことの何とも言えない面白さがじわじわ来ている。
また来年。

#蝉 #180830

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