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自分の価値とは

自分の価値は自分で決めていい。

誰かのnoteを読んだ。

今頑張っている人、頑張りすぎて苦しい人に向けてはとてもいい文章だと思った。

だけど本当にそうなのか?

たしかに誰かの評価や格好を気にして生きるのはとても困難だ。そんなことよりも自分が自分を誰よりも愛して自分の好きなようにすればいい、というのも素敵な考えだと思う。

だけど私はそれを踏まえても人は高みを目指して常に誰かと比較して自分の価値を見出すべきであると思う。

今や運動会のかけっこでも順位をつけないといつか聞いたことがある。それは誰への配慮?と思った。

できる子はもともとできる子と、努力してできるようになった子から成る。できない子も自分なりに頑張ったけどできなかったのかもしれないし、頑張ってもできないのかもしれない。

だけどその頑張りの量が前者はすごいのかもしれない。後者よりも大変な親の指導や朝夕の練習の末の結果かもしれない。それは賞賛されるべき努力だと思う。

何においても完璧な人間などいない。

適材適所、褒められるべきところはいくらだってある。それが順位に現れなくとも褒めようがある。

なんだか話がずれてしまって本当に言いたいことがうまく言えなかった。

私は自分の価値を自分で見出すなんてできない。結局はこんなに必要?て思うほどの人間の山の中でどれだけ私が私である意義や価値を見出せるか、そしてそのために努力しもがくことができるか、それこそが人生である。

今生きる命に感謝してただ血を巡らせる物体は果たしてなんのために生きるのか。

長い人間の歴史、この星の歴史からしたら私の命なんて石ころにもならない。さらに私の人生の価値など砂つぶにも満たない。それでも生きる意味は?価値は?

自分でがむしゃらになって見つけて、できる限りの価値と意義を獲得しないければただの抜け殻であり、それを見た誰かが何か得るものがあるのなら、それ自体が価値になりうるだろうと私は思う。


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