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アメリカ旅-ATL編-

前回の投稿から時間が経ってしまいましたが、アメリカ旅の最後の振り替えりをしたいと思います。
アトランタ編となっていますが、サウスカロライナ州にも行きました。
友人と久しぶりに再会し、様々な経験をしました。
今回も長いですが、お付き合いください。


パワフルなお母さんと穏やかなお父さん

サンフランシスコから飛行機で6時間くらい。
アトランタに到着しました。
空港まで友人が迎えに来てくれており、車で友人宅まで向かいました。アメリカの道路は日本よりも広く、運転しやすそうでした。
ただ、車のスピードが異常なので、慣れるまで時間がかかりそうです。
友人からは「tokiはアメリカで運転は無理だよ haha」と言われました。

友人宅の第一印象は「うわ!テレビで見たことある!」という感じで私のイメージ通りのtheアメリカの家でした。(あ、地下室もありました。)

友人は日本人のお母さんとアメリカ人のお父さんを持つハーフです。
お母さんはとてもパワフルで、現地の幼稚園の先生をしていました。
お父さんは物静かな人柄で、メディア関係の仕事をしていました。
お母さんと話すときは圧倒されました。お父さんと私は、お互いに静かな性格なので本当に何を話していいかわからなかったです。

ここに1つ、自分のダメなところがありました。
お父さんは英語しか話せなかったのですが、話題が見つからないなりに何か英語で話べきだったと思っています。お父さんとまともに会話した回数が少なくて、申し訳ない気持ちがあります。また、英語ネイティブと2人で話す機会を無駄にしていた自分の不甲斐なさを感じています。

あのCNNに...

アトランタ到着の翌日、友人の父がメディア関係の職であったこともあり、CNN本社の見学ツアーに参加することになりました。
CNNがアトランタにあることを知らずにアトランタに行ったので、びっくりしました。大学の講義でCNNを使用していたこともあり、かなりテンションが上がったのを覚えています。

ツアーではニュース作成の裏側を観ることができて面白かったです。特に、編集や情報管理などをするブロックでは、デスクがとてつもない数が並んでおり圧巻の光景でした。
ただ、コロナウイルスの流行でリモートになると意味をなさなくなりそうで、貴重な光景だったと思います。

あとは、何といっても建物が大きいことも印象的でした。中には様々な飲食店が入っていました。もちろんスタバもありました。
ご飯の種類が多いことも仕事のモチベーションになりそうだと思いました。

オリンピックパーク

近代オリンピック100周年の時に開催されたのがアトランタオリンピックだそうです。(1996年)
それを記念して作られたオリンピックパークがCNNの近くにあったので、行ってみました。
市民の憩いの場になっていました。
ここに行く途中に友人が教えてくれたのですが、アトランタにはコカ・コーラの博物館もあるそうです。
さらに、私がアトランタを訪れたのは2018年だったのですが、ちょうどAmazon第2本社の計画でアトランタが有力であると言われていた時期でした。(実際は計画を断念したようですが...)
日本にいたら考えられないことばかりで、アメリカの凄さを感じました。

チャールストン

チャールストンはサウスカロライナ州の都市です。
友人の曾祖父(不明確だが、ご家族でした)の家があるとのことで、観光も兼ねて連れて行ってもらいました。
友人の父と友人の三人で行きました。

チャールストンなんて都市初めて聞いたので、どんなところかも分からず、何となく車に乗った記憶があります。
今思えば、チャールストンについて調べたり、お父さんと話したりすれば、もっとチャールストンを楽しめたのは間違いないです。

街並みは異世界でした。
ここまで2週間ほどアメリカにいましたが、どこでも見たことがないくらい引き込まれる感覚がありました。
ここでしたことは以下の3つです。
①サムター要塞を訪れる
②友人父の友人と食事
③観光

①サムター要塞を訪れる
サムター要塞とは、アメリカ南北戦争が始まった場所と言われています。
 ➡サムター要塞についてはこちら
まさかこの旅でこの場所に来れるとは思っていませんでした。
人との関わりは思わぬ形で実を結ぶことを知りました。
運よく、朝一の便で上陸することが出来たので、国旗掲揚の瞬間を観ることが出来ました。
私もアメリカ国民であるという誇らしい気持ちになりました。
日本で、日本国旗を掲げると、そういう思想の持主と思われますが、アメリカでは全く異なる印象を受けました。この差は何なのかという疑問を抱きました。

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②友人父の友人と食事
友人父の友人の一人にとても陽気な人がいて、私にたくさん話しかけてくれたことがとても嬉しかったです。
正直、話題を見つけようとしないと話せないような人とは、無理に会話しなくてもいいという主義の人間なので、向こうから話しかけてくれると楽で良いという気持ちもありました。
大学で何を勉強しているの?と聞かれましたが、専門分野も決まっておらず、曖昧な返しをしてしまいました。私は○○を勉強している!と胸を張って言えるようなことを見つけられたのは最近になってからな気がします。

③観光
チャールストンは歴史のある街なので、その街並みを観ることがメインでした。17世紀・18世紀に建てられた家がまだ現存していたり、道路を馬車が走ったりしているところにも歴史を感じました。
ここではどのような暮らしがされていたのか?そう考えて思いをめぐらせるのが楽しかったです。

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友人の大学へ潜入

とにかく広い。私の大学はとても狭いので、このキャンパスの広さには圧倒されました。川の幅も一級河川ばりにありました。

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ここでは、友人の大学の友達と6人くらいで食事をしました。
そこでも忘れられない出来事があります。

「トランプ大統領についてどう思うか」という話題になったことです。

日本で友人と政治的な話をすることはまったくなかったので、この話題になった時は驚きました。さらに自分の意見を求められましたが、うまく答えられませんでした。
一緒に食事をした中には中国人とブラジル人もいましたが、彼らも自分なりの考えをきちんと持っていました。国はどこであれ、自分の考えを持つことが大切だと感じると同時に、それまでの自分は他人の意見ばかりに傾けていたことに気づきました。
彼らはきっと私のことを忘れていると思いますが、私は大事なことにづかせてくれた彼らを忘れずに感謝したいと思います。

下はジムの写真です。これはほんの一部です。
テニスコートやサッカーコート、プールまであり、あらゆるスポーツができるようになっていました。
私は陸上部だったので、8レーンあるタータンでちゃっかり走ってきました。こんなに設備が整っていたら、健康志向が高まりそうです。

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旅を振り返って

タイムマシンがあるとすれば、もう少し積極的になって英語で話しかけてみてとかつての自分にアドバイスを送りたいです。
結局はすべて人の目を気にして、何も行動に移すことが出来ない自分の弱さが根本にあると痛感しました。
この旅を振り返って、今感じることは、あまり自分の英語を気にしていた人はいなかったということです。(あのドイツ人を除いて)

ホステルの人も、一緒に食事した人も、お土産屋の店員さんも
伝われば特に問題なさそうな感じがしました。
今、その弱みを克服出来たかといえば、できていないです。ただ、この弱みを受け入れて、どうするかが大事だと思います。

憧れは○○さん。
その人そっくりになろうとして、自分の弱さを無理に乗り越えようとするのがこれまでの自分でした。
ただ、それはしんどいし、本当の自分ではないという想いがずっとありました。弱さをと向き合って話し合う。その上で自分なりにカスタマイズしていくという方法が自分にはあっている気がします。

まとまりがない振り返りでしたが、これはこれでいいのかなと思います。
アメリカ旅での経験を大事にして生きていこうと思います。
また、アメリカ旅にチャレンジできるように英語も頑張ります。

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