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エディ・スリマンについて雑感

エディ・スリマンについて触れたので、ちょっとエディについて書いてみます。DIOR HOMMEの立ち上げから多くの人々を熱狂させた彼のクリエイションはあっという間に伝搬し、世間の「ふつう」までもアップデートしてしまった感があります。エディは自身のスタイルが模倣されていることに対して「人生そんなもの」と鼻で笑いましたが、彼の目論見は、自分のスタイルが世の中に浸透することを確信犯的に望んでいたのではないかとすら思います。

DIOR HOMMEの世界観は、それまでのメンズファッションの文脈とはかけ離れたもののように見えました。ほっそりとしたシルエットの美しいセットアップは、一概にフェミニンというより、性差を超えるような不思議な美しさがあり、実際に女性でも着られる「ペティット」と呼ばれるサイズを展開していました。
また、04年春夏コレクションよりロックへの愛をより強く反映させていくのですが、そこに感じられるのは溌剌とした若さではなく、世の中に居心地の悪さを感じるティーンエージャーの苦悩のような、影のある美しさでした。こうした「影」はDIOR HOMMEの基調低音のようなものとして、エディのラストコレクションまで続きます。彼の持つ「影」は一種のスノビズムと地続きのようにも感じました。パンク、グランジ、グラム、モッズ、80'sとテーマが変わっても、つねに感じるのは「影」でした。そして、その陰影は怖いぐらい美しかったです。わたくしはエディ・スリマンとは同年代であることもあり、彼の見て来たものや魅了されて来たものに強いシンパシーを感じたという事情もあります。

DIOR HOMMEを去ったエディがフォトグラファーとしてのキャリアを5年積んだ後、古巣のサンローランへとカムバックしても、その影はやはり彼のスタイルの中核をなしていたと思います。陽光溢れるLAへ拠点を移してもなお、エディのスタイルはさほど変わらず、黒が基調の細身なスタイルでした。DIOR HOMMEよりもカジュアルさが増し、古着っぽいネルシャツやアロハシャツといったアメリカ的なアイテムをリリースしてもなお、そこに感じるのは影だったように感じます。

さらに、自身の手でリブランディングを手がけたサンローランを去ったエディが、セリーヌのクリエイティブディレクターとしてまた戻って来ます。メンズやフレグランスも手がけるとのこと。評価が非常に高かったフィービー・ファイロが築き上げた世界観を継承するか、というと、それはノーではないかと思います。
わたくしは、おそらくまたエディ・スリマンの「影」に魅入られるのだろうな、と思いつつ「貯金しなきゃなー」と考えております。

Webフォントサービスを片っ端から試してみたいですし、オンスクリーン組版ももっと探求していきたいです。もしサポートいただけるのでしたら、主にそのための費用とさせていただくつもりです。