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反芻

名久井が指差したのは、積もった埃が形を成したような雑居ビルで、思わず怯んだ。階段の一段ずつに足跡が、それは新しく、残っていた。鉄の凹凸を見る。何度も、何度も通り過ぎた人がいるという形跡が、登った先に店があるという確信へ姿を変えたとき、異様に怖かった。場所も、勝手に他人に暴かれる自分自身のことも。別に気づいて欲しい訳ではなかった。誰かに伝えておきたいなら、もうとっくに心の内から溢していたはずだった。

さっちゃんさ、占いいったほういいよ、絶対。

名久井と駅のコメダで話していたのが1時間前。二人でシロノワールを崩して、絶対一人で食えないわ、と思わず口から出た。全然いけるのに、名久井は言った。なんで太んないの、うちエニタイム通ってるし、名久井は上腕を曲げる動作をした。茶色い眉毛だった。ジム絶対行く気なくすんだよね、通ったこと無いじゃん、通わなくても分かる、さっちゃんはまず他のサブスクとか解約しなね、はい分かってます、と私はもごもごと甘いクリームを飲み込むのと同時に、発言を避けた。口元にパンのかけらをつけたまま、くるくるとした笑顔で私をいじる名久井はかわいかった。たわいもない会話を続けて、なんかルミネでも行こっか、みたいないつもの流れになる。コメダの椅子は柔らかくてあったかい、大きい怪獣みたいで居心地が良かった。さくらんぼの細い、枝のようなそれが、溶けたクリームの上に浮かんでいた。

わかんないけど、最近のさっちゃん怖い。

片山と別れたのは2年前。どう考えてもそんなに好きじゃなかった。というか舐めてたっていうと違うかもしれないけど、そう、油断していた。だから私は片山に好きなものを全部教えていた。味噌バターラーメン、自転車で行く井の頭公園、チータラのおっきい袋のやつ、踏切の待ち時間、ミルク飴、広い片山の背中。別れ際、歩道橋を上がるとき片山は私の後ろを歩いた。別に落ちないからいいのにと伝えても、妹といた時の癖だから、と言っていた。その時初めて兄妹がいることを知った。さも一度聞いた覚えがあるように、確かにお兄ちゃんだしね、と私は言った。片山は水色と白のスニーカーを履いていて、ひどく汚れていた。それは私があげた靴だった。

お化けなんてなーいさ、お化けなんてうーそさ!

シャンプーをしていたのが20分前。泡が滲みないように目を瞑らなければならない時は、お風呂場から大声で「片山ー!」と叫ぶ。片山は私よりはるかに大きい声で「お化けなんてないさ」を歌ってくれた。隣の家から壁を殴られたときは、ボリュームを下げるかわりに少しだけ浴室に近づいた、音がした。オペラ歌手みたいだろ、と言ってふざけている片山は、きっといい父親になると思った。でもそれは、片山が知らない誰かと笑いあっている未来をこっそり覗いているようで、勝手に思い出にしようとしていると認識した瞬間でもあった。片山の家のシャンプーは安くて大きいもので、きっと配合されている成分が幾分か少なかった。片山の髪は短く切り揃えられていた。小さなヘアオイルを片山の家に置いていたけれど、いつの日からかあまり使わなくなった。がさつく髪のまま眠りにつくのは、そこまで嫌いではなかった。いつも26:15ごろに目が覚めて、片山がいることを確かめて、もう一度眠りについた。

南さん、もう帰っちゃった?

さつき、という名前を付けられたのが24年前。ジブリに出てくる子と同じだね、とみんなに言われ続けた。私は絶対に見なかった、テレビで何度放送されても頑なに見なかった。自分と同じ名前の登場人物が出てくる創作物が、気持ち悪くてしょうがなかった。きっとその名前に意味があり、私にも意味があることの、空洞的な可笑しさを拒んでいた。私に意味が生まれるのはいつなのだろう。意味を実感してくれていたのは、誰だったのだろう。

名久井と初めて会ったのは7年前。高校2年生だった。私が当時付き合っていた人の、前の彼女と中学校が同じだった。付き合っていた人はハンドボール部で、地味でも無いしパッともしていなかった。数学が得意なところと、授業中だけ眼鏡をしているところをかっこいいと思っていた。友達の多い名久井は私と同じクラスの南さんによく会いに来ていた。放課後、南さんがもう帰ってしまった後の教室に名久井は慌ててやってきて、南さんがいないことを確認した後に、ひどく悲しい顔をしていた。その日は二人で帰った。中学校の時の話はそこで聞いた。夏が押し寄せてくる少し前の、夕立がアスファルトの埃を舞いあげた、むせるような空気だった。名久井はその空気が、匂いが好きだと言っていた。私はそれを聞いて、そんな感性を持ち合わせていないし、そもそもこの匂い嫌いだし、合わないなと思った。今でもそう思う時がある。

さつきは、一人でも大丈夫だと思うから。

出来合いの親子丼を食べていた。ひどくお腹が空いていて、お腹に溜まればなんでも良かった。YouTubeを流す。知らないお笑い芸人が、知らないお笑い芸人と話しているチャンネルの、一番新しい動画を流した。この人たちの歴史も、話の文脈も、まるで理解できないけれど、興味が湧かない会話でも聞いているだけで一人でいることを紛れさせられた。お前絶対ファンいってるやんな?いやいや、藤代さんと一緒にせんとってくださいよ!いや俺巻き込み事故やんこんなん!わは、あは、あははは。私も、あはは、と言ってみた。電子レンジが振動する。蛇口を緩く閉めていたから、ドア越しにシンクからドッ、ドッ、と鈍く水音が響く。隣の住人が帰ってくる音がする。私はプラスチックのスプーンで口に入り切るかわからないくらい親子丼を詰めて、占いを受けた時を思い出して泣いた。頭が、顔がからからになって、勢いよく飲んだお茶がそのまま鼻に抜けて、刺さるように痛かった。もう一度泣いた。

占いが終わったのが3時間半前。薄暗く、ただ多色の布で仕切られている部屋の奥にいたのは初老の女性だった。私は水晶やカードやお札が飾ってあるものだと勝手に錯覚していたけれど、そこにあったのは木や花、夥しい量のキャンドルと、山積にされた本だった。目の前にいる彼女は想像よりも明瞭な声をしていた。ただ記憶の中の彼女の顔は、靄がかかったように思い出せない。それは私が涙ぐんでいたからか、直視しようとしなかったからだとも思う。その代わりに、私より皺が多く水分の少ない手を、そしてはめられていた指輪を思い出す。1999年9月21日生まれ、松山沙月です。私は答えた。生まれたのが深夜で、月が綺麗に見えたから月は入れようと思ったのと母から聞いた。父は響きで決めたんだよ、と笑った後に、でもなピンと来たんだよ、とダメ押しのように付け加えた。たまたまランダムでこの人たちの間に産まれて、たまたま深夜で、たまたま感性に当てはまっていたから、沙月という名前だったんだ。あ、そうなんだ。

片山に連絡をしたのが2分前。既読が早かった。久しぶり、どうした?私は聞きたかった。

私の意味ってなんだと思う?

さっちゃん泣かないで、と言われたのが2時間前。私は名久井に謝った。結構ズバズバ刺さること言うんだよねここの人、分かるよ、大丈夫だった、無理に連れてこない方が良かったかな。私は名久井に振り向いて感謝した。私は占い師と話していた訳では無かった。私と話していた。教会の懺悔室のように、自分の思考と行動と、これまでとこれからを、事象と永遠を、ひとつずつ確かめていただけだった。そして、どうすれば許されるかを考えていた。名久井は全くお酒が飲めないのに、よし、飲み行くかー!と路地で大声で叫んだ。近くの商店街を通る人達が一斉に私たちを見た。泣いていた。恥ずかしかった。そのまま近くの居酒屋に入って2杯だけお酒を飲んだ。土曜日の飲み屋街は夕方でも人でごった返していた。無理をして場酔いした名久井は、でもうちはさっちゃんずっとかっこいいと思うよ!と他の席に負けないように声を張り上げた。南さんが先に帰ったその日、名久井は南さんと数人がいる女子グループLINEを勝手に退会させられていた。私は初めて喋った日と同じように駅まで送った。やっぱり合わないなと思ってすぐに、その違和が心地いいことに気づいて、喜びを噛み締めた。

片山から返信が来る。分かんない、いい奴だとは思うよ。片山に、ごめん、ありがとう、とだけ送って、連絡先を消した。親子丼のゴミを捨てて、冷蔵庫から野菜ジュースのパックを取り出して、ちびちび吸った。生命維持装置なんだと思う。ご飯を食べれたことを自分で褒めた。寝て、夢を見た。片山が寝ていた。広くて大きい背中だった。時計は26:15を指していた。私はもう一度、夢の中で眠った。

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