【読書雑記】石原吉郎『望郷と海』(みすず書房、2012年)

 最近、立ち寄る書店の新刊の棚に見覚えのあるタイトルを見つけ、気にはなっていた。
 そして、それがどうしても気がかりで、結局、昨日買ってしまったのだが、その本が石原吉郎のエッセイ集『望郷と海』である。1972年に刊行されて以来、79年に同氏の全集に収められ、その後、同名のタイトルで90年に「ちくま文庫」、97年に「ちくま学芸文庫」と繰り返し刊行される。そして、このたび、みすず書房からこの6月に再び出版となったようだ。
 おそらく、石原吉郎の名を知ったのが大学生の時分であったから、90年代初頭に「ちくま」の一冊として目にしていたのだろう。
 しかし、その当時、この『望郷と海』を手にしなかったのは、すでに『石原吉郎詩集(現代詩文庫26)』(思潮社、1969年)や『続・石原吉郎詩集(現代詩文庫120)』(思潮社、1994年)を読んでいる最中で、その言語による作品の凄みに感じ入り、それだけ十分で、その背景、いや裏話などこれっぽっちも聞きたくなかったのである。
 あれから二十年余。今年のはじめ、少し酔って立ち寄った本屋で、帰りの電車で読むために購入した『石原吉郎詩文集(講談社文芸文庫)』(講談社、2005年)のいくつかのエッセイを読み、ショックを受けた。散文であるにもかかわらず、そこには彼のモチーフである「沈黙」が厳然として在る。二十年前に受けたのと同じ言語による凄みがある。
 「ある<共生>の経験から」は、共生というものを可能にするのは、人間に対するつよい不信感であること、そして、この不信感こそが、人間を共存させる強い紐帯であることを、自らの「特異な」経験から導きだす。「共生」が、連帯のなかに孕まれている孤独に裏付けられており、「共生」とか連帯とかが、そんな生易しいものではないという真実を照らし出す。
 「ペシミストの勇気について」は、石原と同じ「特異な」状況におかれ、「もしあなたが人間であるなら、私は人間ではない。もし私が人間であるなら、あなたは人間ではない。」という言葉を残し、彼の作品に影を落とす同僚・鹿野武一の人間性とその追憶である。
 石原は関東軍の特務機関に所属。第二次大戦が終結した後、シベリアに抑留され、スターリンの死去に伴う恩赦により帰国が許される。そのとき、すでに38歳。その後数多くの詩を発表するも、散文の形式で自らの経験を告白し始めるのは、50代半ば前後からであった。
 週末わずかな時間で『望郷と海』を読みとおし、期せずして、詩から散文(エッセイ)への展開に従い、当時の読者を追体験することになった。石原自身も帰国後影響を受けた本にフランクルの『夜と霧』をあげているが、この『望郷と海』そして石原が残した詩の数々もこれに比肩するものとはいえないだろうか(2012年11月19日記)。

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