【随想】気分の記憶−バゲットと、カレーマルシェと「大富豪」−

 受験勉強に明け暮れた高校時代の寮生活。卒業から四半世紀あまりを隔てた今になっても、ときおり思いだされる、気分みたいなものがある。
休日前夜の寮の情景——寮生は、おのおの、思いおもい、好きなことをしてこの時間を過ごす。おそらく、すべての寮生にとって、唯一、気の休まる瞬間だと思う。それは、一寮のときも、二寮・三寮にうつってからも、変わらない。
 当時は、日曜だけが休日だった。土曜はいわゆる「半ドン」だから、休日とはいえない。正午すぎに寮に帰ってきても、何となく授業のザワザワっとした余韻が残っていた。だから、土曜も、夕刻をすぎたあたりになって、にわかに休日の気分が流れてくる。そして、この気分こそが、寮の思いでだ。
これは、反動かもしれない。ありふれた週末の気分を「思いで」だというのだから。
 寮での生活は、親元をはなれ、集団生活をしたことのない、思春期のナイーヴな男子にとって、刺激的ではあっても、つねに緊張とストレスを強いるものであった。
 一週間も間をあけることなく、繰り返される試験。気の抜けない日々……。試験の結果というものは、一時点の評価であって、挽回可能な一通過点にすぎないと自らを言い聞かせるのだが、それでも受け入れることができず、劣等感に苛まれ、卑屈になり、それを跳ね返そうと皮肉屋をきどる。
 友人関係がぎくしゃくするのは、自らの未熟さと狭量さゆえと分かってはいても、やはり、かたくなに自分を正当化し、殻をまとい、自らが変わるのではなく、相手に変わることを要求する。
 残念ながら、緊張とストレスは、自らの狭量と余裕のなさを露わにする。
意外にも、折々に企画され、あれだけ打ち込んだはずのイベントは、記憶の底に沈んでしまっている。アルバムを見たり、同期の仲間と話をしたりすると、いくつかの記憶は呼び戻される。ただ、これらは、おりにふれ、自ずと思いだされるシロモノではないようだ。
 やはり、この感覚は反動か。
いや、違う。寮の生活は、刺激と緊張とストレスが常態化するあまり、ありふれた週末にすぎない、そんな休日の前夜さえも、日常と異なる何かに変えてしまうのだ。

 実は、二寮・三寮の時、同室のメンバーで、繰り返していた休日前夜のすごし方がある(のちに他の部屋のメンバーも加わり、やや規模は拡大することになるのだが)。
 何と言うことはない。パンにレトルトカレーをつけ、それを食べながら、深夜までトランプに興じるというものだ。
 しかし、これには、いくつかの道具がそろわなければ始まらなかった。
まず、バゲット。普通のパンではなぜかだめだった。だから、門限をすぎても(秘密である!)、花園商店街のパン屋さんまでわざわざ走ったものだった。
 つぎに、カレーマルシェ。ご存知だろうか、ハウス食品のレトルトカレー。すでにレトルトカレーの定番だが、当時はフランス語の名称とともに、ひときわ高級感にあふれていた。牛肉だけでなく、マッシュルームが入っていたのも画期的だった。お小遣いをためて、わざわざ出かけた五島軒の欧州カレーを思わせる味だった。たしかに、自分で買うには高級すぎたので、実家から送ってよこす荷物の中に入れてもらえるよう頼んだものである。
 さらに、レトルトカレーを温め、それを入れるちいさな鍋。お皿にあけるような面倒なことはしない(インスタントラーメンも、どんぶりにあけず、直接鍋から食べるのが流儀であった)。
 そして、トランプケームの「大富豪」(地域によって「大貧民」と呼ぶようである)を、深夜まで興じる。ただ、それだけである。もちろん、消灯後も。あっ、蛍光管も必要だ。消灯後のあかりとして。

 今となっては、いったい何が楽しかったのか、よくわからないし、ことさらその理由を考えようとも思わない。しかし、ただ一つ、こんな一見つまらない出来事が、いまもって記憶に刻まれ、思いでとされているのは、ひとえに休日前夜の気分のなせる仕業というしかない(2014年7月3日記)。

某寮機関誌『どみとりぃ』所収

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