【随想】ガイドライン行政への違和感#1−「指針」・「考え方」としてのガイドライン(1/5)

 近年、霞が関の行政庁から「ガイドライン」と呼ばれる文書がしばしば示されるようになった。正式な名称として「ガイドライン」が明示されることもあれば、正式名称は別にあるものの、「**ガイドライン」の方が一般にとおりが良い場合もある。とにかく、「ガイドライン」は便利で使い勝手が良いようだ。
 もともとガイドラインは、(わたしの理解するところではあるが、)現下の問題に対し、行政庁が自ら所管する法令等について、その問題への適用を念頭に当該行政庁が考えるところの法令解釈をあらかじめ記すと同時に、その解釈にもとづいた適用の方向性を示すものであったように思われる。正式には「指針」とか「考え方」と名づけられていた。したがって、ガイドラインには、裁判所の判決や判例についての行政庁の理解や受け止め方が示され、場合によっては実務上の要請から、一歩踏み込んだ新たな法令の解釈・適用にまでおよぶ場合もある。もちろん、それは一行政庁の解釈・適用にすぎないから、このような理解にもとづく判断や権限行使についてはあらためて司法の審査にさらされる可能性もある。ただ、こうした「指針」や「考え方」の影響や効果は、一般の法令にも似て、規制を受ける者(受規者)全般におよぶ。そのため、これらのルール形成にあっては、アンケート調査等にもとづく詳細な現状の認識と、受規者をふくめた研究会の場での合意形成が図られていた。
 他方、法令において届け出などの手続きに関する規定があり、その取扱いの詳細を受規者にあらかじめ示しておくことで手続きの円滑を図る「ガイドライン」もある。これは、その手続きに関連する実体規定(禁止や制限を内容とする法令)の意義を明らかにすると同時に、行政庁内部において手続きに関する取扱いの統一を図るものである。この「ガイドライン」には、「事務処理基準」との名称が付されることが多かった(2017年7月5日記)。


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