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私の問題なんだけどさ。

全て私の問題なんだけどさ、
やっぱり思考の習慣は簡単には変えられなくて。
というか、完全に変えるなんて不可能に近い。


私は、親から何か問われたりすると、
とたんに黙り込んでしまう。

言葉が詰まる。

何か言おうとすると涙がこみ上げてくる。

外に吐き出したいけれど、
私のこの言葉は親に言っても大丈夫なのだろうか、
今の私の考えでは否定されるのではないだろうか、
親の思っている以上の答えを持っていないと認められないのではないか、と様々なことを考えてしまう。

考えて、考えて、考えている結果「黙っているやつ」が完成する。

私は考えることが好きだ。
それなりにロジックを通して考えているつもり。
けれど、どこまで考えても親に対しては完璧な回答でないと中々言い出せない。
「完璧な回答」なんてこの世のどこにも存在しない。
それもわかっているが、わかった上で "完璧" を探している。
出口もご褒美も何もない迷路を、ただ歩き続けている。
そうでもしないと、不安で私を保てないような気がして。

そんなこんなで、沈黙が流れると、
親が先に口を開く。
「何も考えていないのか」と。

そんなことはない。
凄く考えているから、黙っているんだよ。と
言いたいけれど、その言葉も外に出せない。

何も考えていないのか、と言われることが嫌(というかもはやトラウマ)だったから誰かの話を聞いたり、キャリアの相談をしている時に沈黙が続いていたら、
「今どこらへんまで進んでた?」
「今どこらへんでつまづいてる?」という聞き方をしていた。
何かを問われて、考えていない人はそんなにいない。

沈黙が長いということは、考えてはいるけれど、
それを言語化できるまで整理がついていないという場合が多い。
言語化することが苦手だった私は、その気持ちが痛いほどわかるからこそ、
どう引き出していくか、聞き方を熟考していた。
言われて嫌なことをたくさん経験しているからこそ、
俗に言う、優しい人に育ってしまったらしい。

変な子でしょう。
困った娘でしょう。

でも、そんなに黙るのは親の前だけ。
1歩外に出てしまえば、私は別人になる。昔からそうだ。

私のことを知らないのは親だけ。
でも、知ってほしいとも思わない。


人間の矛盾、感情の動き方、思考の習慣。

これらは私が個人的に興味のある分野だ。
なぜこんなにもそそられるんだろうと考えた。

これらは全て私だからだ。

私の矛盾、私の感情の動き方、私の思考の習慣。
私は私自身が不思議で面白いと思っているのだろう。

これを書いている今も、胸が無性に熱くなる。
なんにも感情なんてないはずなのに涙目になる。

意思に関係なく、身体が反応している。

人間って面白い。

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