見出し画像

地球一周❶~下船後の意外な〇〇~

あ、日本か。
感動しなかった。
ここか。
ここが私が船に乗る前まで24年過ごしていた場所か。
船旅が終わり約4ヶ月ぶりに日本に帰ってきた。

下船が近づくにつれて、下船を名残惜しむ人たち、思い出を形に残す活動をしている仲間たち、私もその仲間たちと大切なV116の思い出を形に残した。日本では、事前に選択した下船場所で下りられる。神戸と横浜の港のどちらかに。私は横浜組。神戸寄港の翌日に、横浜港で下船する予定だった。しかし「春に三日の晴れ無し」「春の嵐」ということばがあるように横浜下船予定日は風が強かった、波のうねりも凄かったため港に船が着岸できず、横浜組は下船が二日延びた。

神戸港には予定通り着岸できた。
神戸組をポートターミナルまで見送る。神戸で下りる仲間たちも、横浜組も目に涙をためて送り出している。なかには瞳から大きな滴をこぼす人、頬に涙の線を静かに作る人、別れをかみしめる人もみうけられた。
私は、どこか冷めていた。涙でない、悲しいとも思わなかった。なんなら、仲間たちと同じ気持ちになれていないこと、それが寂しかった。
別れの実感がわいていなかった。
それは横浜に下船したときも同じ。
下船したことで仲間たちと会えなくなるというそんな気がしなかった。
思い出や船旅で学んだことは心の中に残り続けて消えないし、会いたい人、連絡を取りたい人には自ら会いに行くし、連絡を取るつもりでいる。
もう二度と会えないという感覚が無かった。
会えなくても、どこかで繋がっているという感覚。
みんなで船の中過ごした時間を再び体験することはできない。でもそんなの船旅中に限らない。陸にいるときも海の上で過ごしているときも同じことが言えると思う。

でも間違いなく言えること。
それは、船に乗って良かったということ。

この期間でかけがえのない仲間に出会い、そんな仲間たちと過ごした時間は宝物だということ。

私の24年の人生、死ぬまでで考えても、私の芯となる核となる部分に届くほど、深く、生々しく、キリキリ、じわじわ、ヒリヒリするような、それでいて心温まるような時間だった。
いつでも臨場感たっぷりに思い出せる、温かくて、少し切ないような記憶。

3月31日。横浜港で下船。
船を下りてからは友達と船旅で感じたこと、学んだことなど振り返って話したり、カラオケで歌ったりしながらオールした。ここで感じたことも今後記録に残していく。(今後の投稿をお楽しみに…!)
翌日の4月1日。
横浜で遊びつくして家に帰る途中、地元のショッピングモールのバス停に下りて、建物に入る。
沢山のお店が肩を並べている。
店頭に並べられた多くの商品が私のことを見ている。
お願いもしていないのにどこからか聞こえる愉快な音楽。
入ってくる情報が多い。
今回旅した南半球の国々と比べて、日本は一度に私に向かって入ってくる情報が多すぎる。
右も左もお店。通路を歩いているだけなのに、涙が出てきた。
何でだろう。船を下りて旅が終わったことを実感した?
それで悲しくなった、その涙?
違う。

横浜で下船したときから、日本を受け入れられていない。
なんか拒否感がある。
家に帰ってきてからもなんとなく拒否感、抵抗感がある。
あるし、地元に近づくにつれてそれが強まっているようにも感じた。
家に帰ってきて一安心という気持ちにはならない。
船旅ロスとはまた違う、何か無くしてきたような気持ち。
一時的な船旅ロスもあった。
でも、この長引く地を這う煙のような静かな違和感。
何か大事な物をなくしたような、
宙に浮いているような、地に足がついていないような感覚。

その感覚の正体は数日経って分かった。この場所は私に適していないという、そんなことだった。こんな感覚になるなんて、船乗る前は想像もしなかった。まさに意外である。でもそれが理解できた瞬間、感覚の正体が分かって、なんだかホッとした。
もう、乗る前の感覚には戻れない。
あぁ。そうか。私は当たり前に心地よい(と思って24年過ごしてきた)場所を1つ失ったんだ。
少し寂しい。
私が心地よいと感じる場所はどんな場所なんだろう。
今後そんな場所を見つけることに関心があるし、まだ少しだけど好奇心も湧いている。

それと私は心地よさを自分以外に委ねていたことにも気がついた。だって、家に帰ってきて親に、あなたは船旅で何を学んできたの?と聴かれて凄く抵抗を感じたし、答えたくなかったし、答えなかった。
もちろん船旅では沢山の学びがあった。
その時は、親に試されているように感じた。納得する理由をだしてみろ、私(親)を納得させてみろと言われているように感じてしまった。
親の近くにいたら親の顔色をうかがった生き方をしてしまう。
私は、親を納得・満足させるために生きてない。
今までは、相手が満足する姿を見て私が安心して心地よさを感じていたんだなと。
自分の安心を、他人に委ねていたんだなと。
そう感じた。

下船日の翌日4月1日自宅に戻った時に家のインターフォンを鳴らした。するとインターフォンから母のホッとした、ようやく帰ってきたよ。と言わんばかりの温かい笑い声が聞こえた。その時は嬉しかったし、温かい気持ちになった。でも。私は母の納得や承認を得るために生きていない。母を喜ばせるために生きていない。
私は私として生きていくし、私が選んだ道は自分で正解にしていく。
母や、親族、周りの承認はいらない。
自分の道を歩くには自分で決めて自分で進んでいくしかない。
そんなことを感じた。

親には自然な気持ちで何の抵抗もなく言えるときが来たら、私は船旅でこんなことを学んできたよ、ありがとうと報告をしたい。

さて、あかりさん。人生第二章の幕開けです。
ここからが本番ですね。

これからの人生どういきようか。

この記事が参加している募集

振り返りnote

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?