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映画レポ|孤独なひねくれ者にぶっ刺さる『バッファロー'66』

“生きていたくない”

この映画を観ると、いつもこの台詞のシーンに胸の奥を刺される。
嫌なことが少しずつ積み重なって、重くなって、なのに人に頼るのが下手で…自分の嗚咽でぐちゃぐちゃになることしかできない夜。

ひねくれ者は、優しくて孤独だ。
今回はそんな『バッファロー'66』のリバイバル上映を観てきたのでレポをする。

◾️あらすじ

刑期を終え釈放されたビリーは、母親との電話でいくつか嘘をついてしまう。いもしない妻を連れて帰らなくてはならなくなったビリーは、通りがかりのレイラを拉致し、妻のふりをするように強要する。渋々従うレイラであったが、彼の過去を知るにつれて、次第に好意を持つようになるのだが、ビリーには、5年前彼を陥れたスコットへの復讐が残っていた…。

Filmarks|https://filmarks.com/movies/39027

◾️ハイセンスな演出にEDまで痺れる

今作は監督であるヴィンセント・ギャロが、主演、美術、音楽までの全てを担ったこだわりの一作である。

ゆえに導入のタイトルシーンからエンドロールに至るまで、ヴィンセント・ギャロのグラフィカルで独創的なセンスが光る。スクリーンで観るとそれはそれはド迫力である。

特にビリーの接写シーンがかなり多かったのは印象的だった。全体的に大胆なのだ。

表情で表現した世界観は、決してファンタジーではつくり得ない。この上なく自伝的で、リアルだからこそ観たものの傷口をも痛むのだ。

◾️癒しの女神、もちもちボディのレイラ

今作のヒロイン・レイラは、『アダムス・ファミリー』でウェンズデー役を務めた当時18歳のクリスティナ・リッチ。
どこか幼い顔立ちに妖艶な雰囲気のギャップが大変魅力的なキャラクターだ。

最初こそ誘拐という形で連れ去られ、仕方なくビリーの側にいたレイラ。しかし次第に彼の孤独に惹かれていく。

この物語のなかで、レイラは一貫してビリーの女神であり、この映画を観る者にとっても癒しの象徴でもある。

…とまあいろいろ難しいことを言ったが、結論、超かわいかった。大好きだ。

◾️ポスターの考察

この映画を何度も観て、ひとつ気づいた点がある。
ボーリング場でビリーとレイラが写真を撮るシーンだ。

このシーンは『バッファロー'66』のポスターグラフィックとして起用されているシーンで、映画のなかでも特徴的なシーンと言える。

彼らは計3回撮影を行うのだが、最後の一回だけ写真の背景をオレンジからブルーに変え、偽りの夫婦を演じた写真を撮る。

もしかしてこれ、ブルーは虚構(嘘)、オレンジは真実を写した構図になっているのだろうか。…だから映画のポスターは背景がオレンジの写真なんだろうか。だとしたら、この映画のテーマは…。

だとしたらいいな、なんて感慨深く思った。

◾️最後に

私はこの映画に映し出された、ヴィンセント・ギャロの苦しみや痛み、欲するものがありのままに表現されている点がとても好きだ。

映画の最後に、ビリーはカフェで販売されているクッキーを指差し、店員にこう尋ねる。

ハートの形は誰が発明したんだろう

なんてロマンチックな台詞なんだろうか…。
彼の心が花開き、余裕をも感じさせる美しい台詞だ。

私もそんな風に生き続けていきたい。
“生きていたくない”夜が、この先何度訪れても。

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