一番晴々としていた卒業式 (シロクマ文芸部、エッセイ)
梅の花が描かれた着物に紺色の袴。
数年前、そんな装いで大学の卒業式に出た。
3月下旬で梅は季節外れでは?と思っていたが、他の花も共にある場合は通年良しとのこと。
今更ながら、なんだかホッとした。
今振り返っても、この卒業式が1番晴れやかな気分でいられたなと思う。
小学校の卒業式は、とても寒いなか運動場で全員で写真を撮った。
今も続く友情もあるし、当日に向けての練習も幾度としたというのに、卒業式当日は思ったほど心は動かなかった気がする。
やはり、まだ幼かったのだろうか。
中学は、中高一貫校だったゆえ、ほとんど形だけの位置付け。
違う高校へ進学する数人や、その周辺以外にとっては同じような感じだったと思われる。
高校は、面倒を見続けてくださった先生方、そして何より中学のときから思春期を共に過ごしてきた友人達との別れもあり、最も寂しさを感じた。
当日は沢山の思い出話をしながら、目一杯感傷に浸り切った。
ただ、大学入試の二次試験前で不安と焦りもあり、皆どこか落ち着かない雰囲気だった。
質問やら報告やらで卒業後も幾度か高校へ行き、先生方や友人達とも会っていた。
それゆえ、卒業したという実感を得られたのは、だいぶ後になってからだった。
そして、大学。
思い返すと、それまでの卒業式と大きく異なる点が2つあった。
1つ目は、その後の進路が決まっていたのに加え、初めての一人暮らしをひかえており、ワクワクしていたことだ。
卒業後は一般企業へ就職、初任地は自宅から通えない地で、借上マンションに住むことになっていた。
門限が厳しく、自宅から大学まで片道1時間半以上要したことから、大学生といえどそれほど自由でもなかった。
下宿だとか門限にしばられていない友人が、とても羨ましかった。
アルバイトは何種か経験したものの、社員として働くことの重みなど理解しているはずがない。
自宅でほとんどせずに済んでいたゆえ、家事の大変さも知らずにいた。
そういうわけで、社会人になって一人で生活できるようになるのが、楽しみで仕方なかった。
その後、実家暮らしがいかにありがたいかを思い知ったのだけれど。
2つ目は、歴史ある晴れ着を着せてもらえたうえ、母と祖母にもその姿を見せられたことだ。
成人式は、母が昔着た振袖で出た。
和服を着るのは大変だが、着られる機会がほとんどないし、母も着たとのことで一層特別に感じられた。
しかし、卒業式は冒頭に記した梅の花の着物だったわけだが、なんと母のみならず祖母も着たものだという。
素人にもかかわらず、それほどの年代ものとは思えないほど綺麗な状態で保管されていたことに、ただただ驚くばかりだった。
そんな着物に、私にとわざわざ選んでもらった袴や小物を身につけることができた。
また、同伴者は2名まで可だった。
3月下旬の平日とあって父は仕事で行けないとなれば母だけだと思っていたところ、祖母も来てくれることになったのだ。
母、そして祖母の目には、私の姿はどう映っただろう。
まだ幼いとはいえ今や子どもの親となった私には、当時の私よりも2人の気持ちが少しわかるようになった気がする。
ありがたいことに祖母は今も元気で、私の子どもにも無償の愛を注いでくれている。
式やその後の集まりで、友人と喋ったり写真を撮り合ったりできたのも楽しかった。
着物を素敵だと褒めてくれた子もいて、とても嬉しかった。
こうして、大学の卒業式は友人達とのお別れもあったものの、終始幸せな気分ですごせたのだ。
そういうわけで、梅の花と聞くと真っ先に大学の卒業式が思い浮かぶ。
今の私なら、「袴は緑がいい!」と言っていたかもしれないな…。
以上、思い出話にお付き合いくださり、ありがとうございました。
※当記事は、こちらの企画への参加記事です。
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