「現実主義」はルール変更への取り組みも含む

現実主義」と言う言葉で、どのような定義が頭に浮かぶでしょうか?


例えば「現実」と言う言葉を、今この瞬間で見えている力関係や、可能性の有無、過去の成功失敗のデータ、常識や習慣の蓄積だとします。
この場合の「現実主義」と言う言葉は、今の状況で得をしたり、有利な立場を手に入れたり、今のコミュニケーションの中で上手く立ち回ったり、と言った価値感に繋がりやすいと感じます。

何故なら、見ているものはあくまで「今のルール」で、その上で最大限のプラスを得る、というタイプの思考の流れだからです。


特に、前例主義や、多数派に与する価値観と結び付くと、よりその傾向は強くなり「今こうなんだから、これからもこのはずだ」と言う結論が生まれるでしょう。
すると、「今のルール」自体を変えるような発想を、「現実的でない」、「理想主義」として軽視するようになるかもしれません、


しかし、実際には力関係も、可能性も、成功失敗のパターンも、どんどん変わっていくものです。
しかも、天候や自然災害のような「自分には変えられないもの」ではなく、人間の試みによって「主体的に変えられるもの」です。

この「現在のルール自体に対して、変化させるよう行動する」と言う行為は、事実を把握した上で行っていくならば、十分に「現実的」で有り得るでしょう。


こうした「現状の追認」ではない意味での「現実主義」は、理想を持って物事を変える取り組みと矛盾せず両立できます。

「どんなものでも最初は前例が無かったもの」ですし、「今では常識でもそれ以前の価値観では非常識だったものもある」と言った事を思えば、今の時点で「現状の追認」にこだわる必要は無いわけです。

宮崎駿氏の言葉に「現実的な理想主義」と言う言い回しがありますが、まさにそのような価値観は成立します。


例えば、「出る杭を打つ人は優しい人だ、世間は風当たりが強いので傷付く前に目立つ行為をやめさせてあげるのだから」と言う考えの人がいたとします。

しかし、この価値観は「世間は出る杭を打つもの」と言う習慣が続く前提を持っています。

これが「現状の追認」です。

個人としての良し悪しの判断の前に、現状を「そういうもの」と言う不変のものと認識していて、現実のルールに対する思考が停止しています

この習慣を良くないと考えるのであれば、習慣自体を変えるように働きかける方法もあり、またその行動は、事実を把握し上であれば十分「現実主義」に則ったものに成り得るでしょう。


つまり、「現実主義」と言われているものには、
・今のルールの枠の中で最大のプラスを目指すもの
・今のルール自体を変える事を含めて最大のプラスを目指すもの

2つがあると言う事です。

そして、前者しか無いと考えている人は、後者を「現実的ではない」「(良くない意味での)理想主義」と呼ぶでしょう。
また、後者も知っている人は、前者を「(現状の追認を前提とした)現実主義」と呼び、後者自身を「現実的な理想主義=(本来あるべき)現実主義」と呼ぶのだと考えます。

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