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とある寿司屋にて

「お客さんどうしましたか」
「はぁ?」と客は声をかけられてカウンターの中にいる人を見た。

「おや、これは寿司屋に来てたのか」お客さんどうしましたかと声をかけられた男は、ちょっとの間に呆けたようになっていたみたいだ。

「あっいや、大将、呆けっとしちゃってすまないね」

「へえ、目がなんとなく泳いでいた感じですよ、本当に大丈夫ですか」

「どうしやす、なんならお帰りになりますか?」嫌味ではなく、カウンターから店の大将の板前さんが心配して声をかけてくれる。

「いや、悪い悪い。なんだか白昼夢を見た感じがするんだ。そんそんなに長い事ボクは呆けっとしていたのかな?」

「いやね、ほんの数秒なんですけどチラッと見たら目の焦点が合ってないような顔をなさっていたんですよ。それで心配しちゃったってわけです。何ともなければいいのですが…」

「たった数秒の時間なのかい?」
「なんだかとても夢でも見ていたような気がするんだけど…」

「聞いてくれるかい大将」
「どうやら僕は中学を卒業してから高校も大学も行かずにそのまま奉公のように寿司屋の見習いに入ったみたいなんだ」
「あれは何だったんだろうか…大将ぼくはね、夢とも言えないがちょっとぼっとっとしていた時間の間に、寿司屋で板前をやっていたみたいなんだよ」

「お客さんが板前さんですか」寿司屋の大将ははにかむように口元に笑いを含めた。

「そいでね、朝早く起きてお米を研いでから大きなガス釜で寿司米を炊くんだ」
「そしてね、あらかじめ決められた塩が1、砂糖4、お酢が 6の割合で合わせ酢を作って炊き上がったご飯をシャリ切飯台に移し、先の合わせ酢を回しかけて大きなしゃもじでシャカシャカと混ぜ合わせるように手早く炊きあがったご飯を切ってくんだ」
「それから扇風機を回して大きな、飯台の寿司飯を風に当てて水分を飛ばすんですよ」
「表面が乾いたら、また大きなしゃもじでシャリの天地返しみたいにして切ってすし飯が固まらないようにするんですよ」
「そんなことを何回か繰り返してシャリのべたつきがなくなったら、今度はお櫃に移すんです」
「三升ものお米を炊くのですからお櫃も大きいです」

「出来上がったばかりの少し暖かいすし飯で寿司を握って食べると、もうそれは得も言われぬほどおいしいんです」
「だからどうしても我慢できずに大将が来る前に、一つ二つネタを握って寿司にし大将の目を盗んで食べちゃうこともあったんです」
「めったにそんな盗み食いはしないんだけど、ある時その盗み食いの最中に大将が入って来たんですよ」

「それじゃあ、夢か幻の中でも怒られたんじゃないですか?」
「しかしほんの数秒の間にそんな長い夢みたいなものを見るものなんですかねえ」と寿司屋の対象が聞くともなしに口にする。

「それなんだけどね、大将、その時に怒られなかったんだ。ちらっとぼくを見てトイレに入っただけだった」

「それでねわずかな時間のことだけど、ぼくは高校の一年の頃に無免でバイクに乗っていて、一時停止もしないで交差点に飛び出て左から来た車に跳ねられて宙を飛んだことがあったんだよ」

「お客さん、そりゃあ大変なことがあったんですね」

「そうなんだ」
「そしてぼくは落ちたところで気絶していたらしい」
「気絶する前の車に跳ねられて宙を跳んでいる間が、なんだかスローモーションのように長かったことだけは覚えているんだ」

「それじゃあ大けがをなさったんじゃ、ご災難でございましたね」と大将が相槌を打つ。

「ところがね大将」
「なんで気絶したのか分からないけど、それが怪我一つしてないのよ」
「でも、飛んで落ちた少し先にはそうだなあサッカーボールぐらいの大きさの石があってさその少し手前に落ちたから良かったけど、もう少し飛んでたら多分死んでた」

「そのまま意識がなかったから、あとで聞いた話では車でぶつけた人もその石に頭をぶつけ打ち所が悪くて死んだのかと思ったそうだよ」

「そりゃあ大難ですが真っこと小難でよかったというべきですかね」寿司屋の大将は目を剥いて驚いたように言った。

「ちょっとの間気絶しただけで、擦り傷も打ち身さえなかったんだ」
「まあちょっとした奇跡みたいなもんだと思います」
「それこそあと十センチ飛ばされていたら、頭が割れて死んでいたかもしれません」

「…」寿司屋の大将は無言で頷くようなそぶりをした。

「どこまで話したかなちょっと寿司でも摘まもうか、中トロお願いできるかな」

「ちょっとちょっと大将なに言っているんですか、客はぼくですよ」
「さっき頼んだその中トロがまだですよ」

「えっ?」
「な、なに?」
 ちょっとどぎまぎしながら大将と言われた男は自分の法被姿と前掛けを見て、それから調理台を見て我に返ったかのようだった。

「へいよ、中トロお待たせ」

「中トロだね。脂ぎらず上品な甘みがなんとも言えない」カウンターに座った対象と同じぐらいの客はそう言いながら、もう一カンの中トロを返すようにして醤油をつけて美味しそう口に運んでいた。

「あがり」

「あがり一丁」

後書き
寿司屋にての白昼夢は客側だったのでしょうか。
それとも店主び大将こと板前さんだったのでしょうか。
あるいは入れ替わりが起きたのかも…
飲食店に入って白昼夢は見ない方が良いかもですよ😋



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