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飲み会帰りの夜ほど虚しいものは無い

先日、久しぶりに会社の方との飲み会でした。

といっても少人数、かつ仕事でもずっと関わっていて、話しやすい人達であるのですが、疲れた。

仕事でこの人たちと話すことと、こういう場で話すこと。見た目は一緒なのにエネルギーの消費量が全然違うのだ。さらに言えば使うエネルギーの種類すら違う気がする。


その場にいる時は疲れてるか疲れてないかなんてよく分からない。だけどその後、帰路につく頃に疲れがドッとくる。あの疲れが非常につらい。



・「私なにしてんだろ…」という時間への喪失感


・その場で見たもの、聞いた話に対する衝撃の処理


↑これが大きい。会社の外ではこんな感じの人なんだ、という情報のインパクトが凄まじい。以前、面倒見の良くない上司が子連れ可の飲み会でめちゃ子煩悩だったのが今でも衝撃でなんか忘れられないのだ。


あとはその人のプライベートな一面とか、噂話とか。どうしてこんな刺激が強すぎるのだろうか。私の通う会社だけと思いたいなあ。


失礼だけど、「知らなくていいことをたくさん知ってしまった」みたいなことが多い多い。




そして、これらのことを知ったのに明日以降普通の顔して仕事する光景も結構心臓にギュッとくる。みんな器用だよね。





社交的にはなりたいと思うし、以前よりは慣れない人と会話することへの苦手意識は減ったと思う。だけどめちゃくちゃ疲れるし、もっとこうすれば良かった…と毎回のように反省会を開いてしまう。

結局「上手く楽しめないのも全部私が悪いんだ…」「変な大人と上手く渡り合えない私も変な大人だ」みたいな。

……

こんなことをぐるぐると考えてしまうのが帰り道の電車や寝る前の布団の中。孤独を真正面から突きつけられる場所で、こういうことを考えると本当に落ち込む。

こういう環境に馴染めない私はいつか本当の孤独が待ち受けているのかも、という未来への不安も生まれてきて……


はい。ネガティブなつぶやきは終了。みっともないところをお見せして申し訳ございません。


孤独なのはみんないつか経験する「事実」だし、それをただ悲観して下を向くより、工夫して楽しめる術を知ってる大人になりたいよね!


よぼよぼしてた電車の帰り道の後半、「このままじゃあかん」と思い立ち、iPhoneのメモ帳に「超疲れた時にしたい夜の過ごし方」を箇条書きで綴ってみました。


○贅沢バスタイム〜友人から貰ったSABONのスクラブ全使い&お気に入りの入浴剤を添えて〜

○お風呂上がりはオロポとアイスと映画鑑賞⟡.·

○カフェオレと音楽と手書きの日記記入☕️


うーん、書いているだけで満足しちゃうくらいワクワクするよねこういうの。笑

私は1人でも2人でも大勢でも楽しめる能力があると言い聞かせています。今は発展途上だけど、その言い聞かせのようになる日の為少しずつ頑張ってるだけです。


あと飲み会はみんな無理すな〜!楽しめないのは誰が悪いとかじゃない〜!色んな組み合わせとか話す内容とか要因はいろいろ絡まって分からないもんやで!

楽しめない自分がいる、って認めるだけでも大きな一歩!参加しないのも手だし、参加する人もしない人も決断ちゃんとしてえらいぞ〜うお〜!



少しまとまりのない文章になりましたが、胸の内にあった言葉を吐き出せてすっきり。大人を頑張って生きてくぞ〜✊


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