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自由主義とリベラリズムとリベラルって何が違う?

「リベラリズムという言葉をよく耳にするけれども、漠然としたイメージしか湧かないし、本当の意味は実はよくわかってない…」

という人は僕だけではないはず。

盛山和夫『リベラリズムとは何か ロールズと正義の論理』を読んでみたら、だいぶ霧が晴れる思いをしました。

社会学者の著者が、現代リベラリズムについて解説した良書です。

前半はロールズ理論の解説、後半で現代リベラリズムの説明がなされます。

ロールズの解説書としても読めるし、逆にロールズ自体に興味のない人は序章の次にいきなり後半部に飛んでもいいでしょう(僕はそうした)。


リベラリズムと自由主義って何が違う?『リベラリズムとは何か ロールズと正義の論理』

リベラリズムと自由主義。

今ではこの二つの言葉はちゃんと使い分けられているそうです。

「リベラリズム」とはロールズに端を発する現代リベラリズムのこと。

一方で「自由主義」はスミス、ヒューム、ハイエク、ポパーなどに代表される、非設計主義的で漸進主義的な古典的な自由思想のことを指します。

この後者の古典的自由主義に対抗して出て来たのが修正リベラリズムと呼ばれ、ベンサムやミルに代表されます。社会を合理的に秩序づけようとする姿勢が特徴。

自生的秩序を大切にするのが古典的自由主義。合理的な理性で秩序をデザインしようとするのが修正リベラリズム。


現代リベラリズムはこの修正リベラリズムの系譜にあります。が、修正リベラリズムの功利主義的トーンを批判し、それに取って代わる規範的原理を打ち立てようとする点では根本的に異なっています。

たとえばロールズは不平等の問題に焦点を当て、公正としての正義を論じたのでした。これが現代リベラリズムの出発点です。

なお当時の社会思想にとってロールズの正義論は、近代物理学に対するニュートン理論と同規模のインパクトを持ったとすら言われています。


その後、責任・平等主義により現代リベラリズムは深化していきます。アマルティア・センやドゥオーキンの平等論などが重要とのこと。

やがて現代リベラリズムの中心テーマは、不平等の問題から文化多元主義の問題へと焦点を移しはじめます。

現代リベラリズムの基本的なテーゼは次の5つ。

  1. 政治権力は文化と善の構想に対して中立的でなくてはならない。

  2. 誰もが否定しえない基本的権利をもっており、社会の規範はそれを元に成立しなくてはいけない。

  3. 善に対する正義の優位。ここで善は個人的な価値、正義は個を超えた普遍的な原理である。

  4. 社会は個人の福祉に奉仕するために存在する。

  5. コンパートメント化。個人には他人や社会からの干渉を排除する不可侵の領域があるとする考え。


しかし今思えば、この「不平等から文化的多元主義へ」というのが、リベラリズムのつまづきの石になった気がします。

グローバリズムの進展によって、現代の先進諸国では中間層が没落していますよね。いわばマジョリティだった人たちが没落しているわけです。

本来ならこの人たちの貧困に焦点を当て、不平等を問題にするのがリベラリズムの役割のはずです。しかし文化的不平等の改善にばかり熱を上げるリベラルでは、それができないのですね。

彼ら彼女らにとっては、マジョリティらの経済状況よりも、文化的マイノリティの待遇のほうがはるかに重要。

その結果、没落する中間層は華麗にスルーし、経済的強者の大企業で活躍する女性や同性愛者の味方になるという、なんともいえない状況が出現したりもするわけです。

これが、アメリカを含めた世界中で、リベラルが批判される大きな要因になってしまっています。


リベラルって何? 井上達夫・小林よしのり『ザ・議論!リベラルvs保守』

ついでに読んだこっちも面白かったです。

法学者の井上達夫と漫画家の小林よしのりの対談本。カバーはだいぶ色物ぽいですが、内容はしっかりしていています。

正直、小林よしのりがこんなにまともな人だとは知らなかった。

逆に井上達夫にはもっと真面目で学者肌の超秀才というイメージを持っていたのですが、こんなに洒脱で激しい人だとは思わなかったです。

そういえば哲学者の中島義道がなにかの本で、井上達夫の尋常ならざる頭脳を褒めそやしていました。法学の人間なのに、哲学の学識で哲学科の人間のほとんどを圧倒できるとかなんとか。


盛山和夫の前掲書は学問的な「リベラリズム」の意味をはっきりさせる本でしたが、本書を読むとこんどは世間でよく言われる「リベラル」の意味がだいぶはっきりします。

冷戦終結までリベラリズムは右からも左からも批判されていたのですが、冷戦が終わるとメディアは反保守の旗印として「リベラル」を掲げ、そこにかつての左翼も合流します。

その結果、本来のリベラリズムとは関係のない左翼イデオロギーや護憲イデオロギーにまみれた現在の「リベラル」が生まれたとのこと。


社会主義の崩壊により左翼は革新の旗印を失い、左翼が崩れることで保守は反対すべき革新を失いました(マンハイムが指摘するように、保守とは革新の後に現れる新しい勢力です)。こうして両者とも現在ではアイデンティティが揺らいでいます。

ちなみに井上はリベラリズムの立場から天皇制に反対している模様。天皇を人間以下の存在として扱っているからというのがその理由です。

ちなみに天皇とマイノリティの相性がいいのはこれがためとのこと。マジョリティから排斥された存在同士の共鳴が生じるわけですね。

天皇制は民主主義と相性がよく、強烈な同調圧力を生み出すとも指摘されています(シュミットがいうように、民主制のコアには同一性があります)。

実際、福沢諭吉はバジョットの影響を受け、愚民統治のために天皇の権威を要請したのでした。

これに対して津田左右吉は天皇を国民の赤子とみなし、この赤子を抱くことで国民が国民主権に目覚め愚かなエリートを監視できると説いたそうです。


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