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柄谷行人の『力と交換様式』を読んでみた

最近の柄谷行人は、「交換様式」の観点からマルクスの『資本論』を解釈し継承するという仕事をおこなっています。

社会システムの根底には4つの交換様式(A,B,C,D)があって、その4つのうちのどれが優位に立っているかによって社会システムの性格が変わってくるという考え方。

A(贈与交換)が優位なら伝統的な共同体社会(村っぽいやつ)になる
B(支配と服従)が優位なら帝国(帝国主義ではない)みたいになる
C(商品経済)が優位なら資本主義になる
D(普遍宗教)が優位なら…?これはまだ見ぬ未来社会


本書『力と交換様式』は、この交換様式がもたらす「力」(現実として人を動かすもの)について考察したもの。

その力は人間の意思を超えるものであり、人間が自由にコントロールできるものではない、という点がポイントです。

柄谷はポスト資本主義やポスト社会主義の議論を次のように批判します。

結局、このような社会改造案に共通するのは、資本主義経済を、人間の意志によって操作できるという考え方である。つまり、資本も国家も、人間の意志で操作できるかのように考えられている。しかし、資本や国家の力は、物神や怪獣の“力”であり、人間の意志を越えたものだ。ところが、“ポスト資本主義”や“ポスト社会主義”は、その力を見ない。その挙げ句、ろくに読んだこともないマルクスの『資本論』を“再評価”する考えまで出てきたのである。

柄谷行人『力と交換様式』

宇野弘蔵が指摘したように、マルクスには二面性がありました。

社会主義革命を目指す革命家マルクスと、資本主義システムを分析する社会科学者マルクスの二面性です(宇野は後者のみに着目し、柄谷は基本的に宇野の立場を継承している)

そして『資本論』という書物は、実は後者のマルクスによる分析重視の内容なのです。

しかし、『資本論』が今も読むに値するのは、階級格差を問題にし、それを解決する社会主義を提起したことによるのではない。それは、資本主義経済がなぜ、且つ、いかにして存続するのかを解明しようとするものであった。つまり、その鍵を、交換から生じる観念的な「力」、すなわち物神に見出したことにある。

といってもマルクス本人はもっと簡単に資本主義は瓦解すると思っていたふしがありますが。

しかし柄谷は安易な革命や改革の無効性を強調し、「待つしかない」という境地にいたっているようです。


本書はよくいえば90年代以降の柄谷の仕事が集大成されている感。悪くいえばすでに読んだことある内容が多いです。

長年の柄谷読者からすると、思ったほどインパクトは感じないかも。

あと文章も昔みたいな切れ味はないです。これは英語で書いた(考えた)ものを、後から日本語にしているからだと思われます。

とはいえ、90年代以降の柄谷を知らない人が読めば、明快かつ斬新な現実解釈や理論解釈が飛び出してきて感動できるかと思います。

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