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セルフィーとニューカラーの関係性

街角セルフィー

時間帯、曜日、季節を問わず、街に出ればセルフィー(自撮り)を楽しむ人たちを見かけます。つい先日も、出張先の駅のホームで、女子高校生2人組がセルフィー。(頭上にはホームを照らすライト。光源を見つける感覚には恐れ入りました。)

正直、これまでは「スマホの容量をセルフィーで埋めてどうするんだろう?」と思っていました。あるいは、並んで買ったクレープの写真を何枚も撮る行為でさえ。

彼女たちのアルバムは「ニューカラー」だ!

でも今は、「その調子でもっと撮るんだ! もっと楽しむんだ!」と、応援しています。

それはなぜか? 彼女たちは、1970年代に登場した「ニューカラー」と呼ばれる写真の表現技法…というよりも精神を持っているからです。

セルフィーで埋め尽くされた彼女たちのアルバムは、「ニューカラー」そのものです。

渡部さとるさんの解説を、全員聴くべし

で、その「ニューカラー」については、写真家・渡部さとるさんが分かりやすく解説しています。YouTube、もちろん無料です。贅沢。

動画の中で渡部さんが言っていることを、いくつか引用しておきます。

「ニュートポグラフィクス展(1975)は、人工的に手を入れられた自然に目を向ける。」
「写真家がやらないと残らない。」
「ふつうのものは、意図的に残さないと残らない。」
「残らないものを残そう」という動き。

「ニューカラー」は何が新しかったのか?その2 #スティーブン・ショア

当たり前に過ぎ去るもの。当たり前に消費されるものを、わざわざ撮る、という行為。これがニューカラー的発想というわけです。

だから、駅のホームでセルフィーを楽しむ人たちは、永遠とは呼べない今の姿を撮り収めておくのですね。わざわざ撮らないと、残りませんから。

自分のアルバムもニューカラーだった

RICOH GR III, 昭和記念公園

そう思って自分のアルバムを見返してみると、なんてことはなくて、ニューカラー的要素でいっぱいでした。

周りからすれば「そんなものを撮ってどうするの?」と言われるのは、趣味で写真をやっている人の宿命。でも、「そんなもの」の価値は、後になって分かることもあります。

わざわざ撮らないと残らないもの。

これからもどんどん撮っていこうじゃありませんか。


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