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67/* 人のふり見て我がふり直せ

なんというか、僕は反骨精神は大切なものだと思っている。好き嫌い、という感情はあまり好まないけれども、お前覚えてろよ、みたいな反骨精神はとても好きだ。反骨精神を持っているという言葉の裏には、自我や向上心という意識が隠れていると思っているからだ。

ただ、それだけをむき出しにして自分を振り返らない人には少し恐怖を覚える。あいつはこうだ、という割に自分も対して変わらんやんけ、と思われたら負けだ。自分、を差し置いて犯行精神ばかりを正義とする人に周りは、少し恐怖を覚えてしまう。

そこにはやっぱり、自我や向上心があるか、という違いがある。自我もなく向上心もなく他者を否定することは、僕の中で反骨精神とは呼ばない。だってただの悪口だもんね。

じゃあどうしたらいいんだろうと考えた結果、人のふり見て我がふり直せ、という諺にかえってきた。意味は読んで字のごとく、人の行いを見て、自分の行いをただしなさいよ、ということだ。

最終的に、そこに自我や向上心がなくたって、人のふり見て我がふり直す姿勢があれば、どれだけ反骨精神をむき出しにしていたって、謙虚な人間になれるんだろうと思う。逆に自省の念がそこになければ、それはただの敵意になってしまう。

バガボンドでも描かれているけれど、敵意や殺意は人を遠ざけるばかりだ。相手がどれだけの優しさを持っていても、こちらが敵意を覚える限りは、誰も近づいてきやしない。孤独は何より寂しいことだ。孤独を自ら作り上げることほど、愚かなことは無いと思う。

これは自戒の念も込めていう。人のふり見て我がふり直せ。広い視点は大事だけれど、あたりばかり見回していては、足元がきっと疎かになる。

#日記 #エッセイ #仕事 #ことわざ #井上雄彦

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