日常から考えるアメリカと日本①

当たり前のことだが、年単位の長期期間、海外に滞在していると、ふと日本に帰ってきたときに、違和感を感じることがある。

違和感というと、若干マイナスな意味に感じるが、+ーの意味は特になく、ただ単純に差異を感じることがある。

よく「日本は、全体を重んじる」とか、「アメリカでは個性が尊重される」と言われるが、客観的なデータを基にしなくても、日常的な風景として、精神性の違いが感じられる。

例えば、自転車に乗っていて、信号待ちをしているときに、何気なく車の流れを見ているとき。

日本では、いい意味で無個性なあまり主張の激しくない車が多く通る。ボックス型の車や、プリウスのような平べったい車、それからベルファイアのような大型の四角い車が、大小や色の違いはあれど、よく走っている。

アメリカでは、テスラのような最新テクノロジーを集めた見た目も特徴的な車が田舎道でも走っていたり、ロサンゼルスのような大都会で、今にも壊れそうな車が走っていたりする。通り過ぎると、なんだろうあの車と思わず思ってしまうような車がよく通っている。ホームステイ先として滞在していた家では、後部座席の片方の窓が壊れて開かない車を、お父さんがマニュアルレバーを駆使しながら運転していた。愛着があるから、買えるけど他の車は買わないと言っていた。

だから、アメリカがいいとか、そういったことでなく、このような日常的な風景に、各国の差異を感じることは、旅行や留学の際にある楽しさの一つである。

先ほどの相違から、日本では、世間にある一定の基準の中で、色や車種や形を決めるいくような、そんな感覚が全体としてあるのに対して、アメリカでは車一つにも購入者の人柄が表れるような、そんな感覚がある。

もちろん、お金があれば、高級車を買う人も多いだろうし、車好きは車に大枚をはたいてしまうというようなことは、どの国でも共通してあることだが、全体として、差異を感じることがある。

日本の中であっても海外でも、今までいったことのない場所に行く経験は、何気ないことをきっかけにいつもと違うことを考える、いい機会だなと強く思うと共に、その経験をサポートしてくれる親には感謝しかないなと思う。

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