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【前編】「ご縁だね」で広がる輪 ワインソムリエの醸す、こだわりの酒。

   茨城県は気候も温暖、お米の栽培が盛んな土地です。さらに久慈川水系、那珂川水系、筑波山水系、鬼怒川水系、利根川水系と、豊かな5つの水系にも恵まれています。そのため関東で最も多い36の酒蔵があります。
 
   今回取材させていただいたのは、明治8年創業、常陸太田市にある岡部合名会社さん。日本酒(清酒)、本格焼酎、およびリキュールの製造販売をしています。代表銘柄の『松盛』は、地元だけでなく海外でも飲まれている人気の日本酒です。
 
   毎年春に行われる全国新酒鑑評会では、特に優れた日本酒に送られる金賞を4年連続で受賞歴のある酒蔵です。(4年連続は県内初の快挙!)
また、お客様や酒造りに興味がある方と一緒に『ご縁だね』という自酒(自分たちで作る日本酒)を作るプロジェクトを立ち上げ、お酒造りによって地域の人たちをつなぐ活動も行っています。
 
   創業初の蔵元杜氏として活躍され、「ワインソムリエ」の資格もお持ちという、6代目岡部彰博さんにお話を伺いました。

【前編】 創業初蔵元杜氏として活躍される岡部さんの経歴とは?

―まずは、岡部さんの経歴をおしえてください。お子さんの頃から酒蔵を継ぐことを意識されていたのですか?

 高校を卒業後、一般的に酒蔵を継ぐと決めている人は、農業大学などへ行くこと多いようですが、私はやりたいことが決まっておらず、家業を継ぐ決断もできていませんでした。
 ただ、東京で一人暮らしはしてみたいと思っていたので、農大ではない東京にある大学に入学しました。
 
   学生時代はお酒を飲む機会もありましたが、おいしさがわからなくて正直、日本酒を嫌いになってしまった時期もありました。子供のころは甘酒も苦手で。
  大学三年生くらいになり、いろんな大人の方々と知り合い、美味しいお酒の飲み方、銘柄を教えてもらうことで、日本酒のおいしさに気づくことができました。そこから「家業を継いでみようかな」と思うようになりました。
 

ー日本酒を身近に感じていたことが多いと思いますが、飲み始めてしばらくたっておいしさに気づいたというのは驚きです!その後就職活動はどのようにされたんですか?
 
  就職活動の時期になり、西日本の酒蔵が蔵人※(※蔵人・・杜氏以外の酒職人)として人材を募集していると聞き応募しました。さらにお酒をホテルや飲食店などに卸す問屋にも応募。2社とも内定をもらえました。有難いことに、「酒蔵では作る側」、「問屋では売る側」、どちらの仕事も選べることになりました。
 
 ―最終的には「作る側」と「売る側」、どちらを選んだのでしょうか?
 
   当時は実家である酒蔵に、杜氏さんが岩手県から来て日本酒を作ってくれていました。そのため、酒蔵に戻ったとしても、すぐに自分で日本酒を作るとは考えていませんでした。 
  それでまずは売ることの勉強を始めたほうがいいのかなと思いました。それと当時の彼女が神奈川県に住んでいたので、悩んだ結果、西日本ではなく、神奈川に支店があるお酒の問屋に就職先を決めました。(笑)
 
   入社後は、相模原市などで、居酒屋やバーなど担当エリアを持ち、飛び込み営業や、既存のお客さんには新商品の紹介などをしたりしていました。
 
   営業をしていると、飲食店のマスターやオーナーさんに、「いいお酒ない?」と聞かれることがありました。これはチャンス!と「いいお酒があるんです!」と、実家で造った日本酒『松盛』を紹介しました。注文を頂くと、会社で在庫を持つことになるため、別エリアを担当する先輩や後輩にも『松盛』の美味しさを伝えました。

ワインソムリエの資格を持ち、新たな視点で 酒造りをする岡部専務

  すると、同僚から「いいよ!岡部の酒、売ってやるよ!」と言ってもらえるようなりました。東京にも支店があり、最後の数年は、新宿など自分のエリア外の担当者と仲良くなったりすると、「あの飲食店にも置いてくれたよ!」と『松盛』の営業をしてくれるようになりました。自分一人だけではできないくらい商品を広めることができました!これはほんとうにラッキーでした。今でも引き続き注文してくれる飲食店さんもあります。
 
   営業として就職し、『松盛』を有名にして地元に帰ろう!と大きなビジョンを描いていたわけではないですが、良い同僚のおかげで、多くの方に知ってもらうことができました。
大変な時ももちろんありましたが、神奈川県に彼女がいたので(笑)、一生懸命頑張ることができました!

『松盛』の名が入った法被や酒樽など数々の展示品

  ―会社員時代、同僚の方に恵まれて働いていらっしゃったんですね!戻ろうと思ったきっかけや、戻ってきてからのお話を聞かせてください。  

 4.5年で辞めて帰ろうと思っていたのですが、仕事も楽しく、人とのつながりも広がり、帰ったのは、働き始めてからちょうど10年目の年でした。   在職中にはホテル担当でワインの知識が必要なため、ワインソムリエの資格も取りました。テロワール(※)という考え方もここで学びました。((※)テロワールとは・・フランス語で気候や地形、土壌といった「その土地らしさ」を備えているという意味。) 深く学んでいくうち、テロワールの考え方が、日本酒にも使えるかもしれない、地元の材料を使いお酒を造ってみたいと思い始めました。 

  こちらに帰ってきてからは、茨城県産業技術イノベーションセンター主催の勉強会にも参加しました。県内の酒蔵さん、従業員が勉強をすることころです。
 私の酒蔵では、子供のころから、日本酒は岩手県の杜氏さんが冬場に来て作ってくれていました。その為、外部からきた杜氏さんが作るもの思っていました。しかし、いろいろな方とお話しするなかで、茨城の蔵でも、その蔵の従業員などが自ら杜氏となり、日本酒を作っているところがあるいうことがわかりました。

   もちろん、作りたいと思ってすぐ作れるようになるわけではないので、まずは杜氏さんの元で冬場、蔵へ入るようになりました。
   6年間杜氏さんについて学び、酒造りの手順はすぐに覚えることができましたが、酒の世界は奥が深く、わからないこともあるためドキドキの連続でした。イノベーションセンターで酒造りの研修も受けながら、実際に細かいシチュエーションで迷った時は、経験豊富な別の蔵の杜氏さんに電話で教えてもらっていました。  

 このようにして酒造りを学んでいましたが、岩手から来てくれていた杜氏さんや、父と一緒に働いてくれていた同年代の方々が、高齢もあり、引退したいとの話が重なり、令和2年より私が蔵元杜氏となりました

 ちょうどその頃、酒米作りでお世話になっている栗原農園さんからの紹介や、いろいろな良いご縁があり、同年代で働いてくれる社員や、お手伝い仲間がきてくれることになりました! ほんとうにありがたいことです。
 

―創業初の蔵元杜氏となった岡部さん、同年代の新たなメンバーの方々とお酒造りが始まってみていかがでしたか??

 お手伝いの仲間で冬場だけ働いてくれる人もいて、毎年旅館の泊まり込みで宿泊費用がかさみ悩んでいたんです。そんな時、行動的な仲間の一人が「シェアハウスを作りたい!」と宣言、無事開業しました。費用の問題も解決し、結果、みんな仲良く一緒に、楽しく暮らせるようになりました!

 どこの蔵も冬場などは特に、人手不足になってしまうことが多いですし、このさき社長職も引き継ぐことになると思います。今のように即戦力となる造り手さんたちがいてくれることは本当にありがたいです。自分は恵まれていて、本当に運が良いと思っています!

―よい働き手さんと作るからこそ、おいしいお酒ができているのですね!ぜひ、おすすめの日本酒について教えてください。

 創業当時から作り続けている日本酒、『松盛』が人気です!テロワールにこだわり、常陸太田市契約農家、栗原農園の地元産米を使用しています。現在のラベルは、ピンクの下地、文字はブルーの箔です。


『竜伝説』は茨城県日本酒若手蔵元活性化プロジェクトに参加し生まれた酒
米など原料となるものすべてが県北のもの

―『昼下がりのランデヴー』という日本酒もあるそうですね。ひときわ目を引くネーミングが斬新で素敵です!

 ワインソムリエの資格を取り、気になったことがあって。都内ではワインをカフェで昼からおしゃれに飲んでいる姿を見かけますよね?もしこの辺りで四号瓶(ワインと同じ720ml)を抱えて飲んでいると、「あれ?あの人、昼間っから飲んじゃってるの??」みたいになる。どうしてそんなイメージになるんだろうと思ったんです。

 ワインの原酒は16度とか、高いのは19度もあります。この酒は13度。低アルコールの商品です。さらに最後に一手間加えることで甘みと酸味のバランス整った日本酒に仕上げています。そのため、「昼間に飲んでいただいても、そのあとにデートや、他にもいろいろなことも楽しめますよ!」と、『昼下がりのランデヴー』と名付けました。日本酒の新しい可能性を広げるお酒としてぜひ、みなさんに飲んでいただきたいです!

【後編】日本酒にあう料理は? 地元の仲間たちと作る酒造りへの思いとは?へ続く