母性愛と父性愛

前回の記事で予告した通り、今回は母性愛と父性愛について書いてみたいと思います。

そもそも母性愛と父性愛なんてものは存在するのか?という話ですが、僕にも分かりません。
というのも母性愛とか父性愛というのは実に抽象的な存在だからです。
その為、初めにこの記事における母性愛と父性愛の定義というものを提示しておきたいなと思います。
今は多様性多様性と叫ばれる世の中です。
男性だからこう、女性だからこうというような決めつけがタブーな中で僕の言いたい事を正しく伝える事は難しいのでここは少し細かい話をさせていただこうかと思います。

男性にはこういう傾向がある
(ただし例外もある)
女性にはこういう傾向がある
(ただし例外もある)

この前提を持った上で
一般的に男性が担うに適した役割とは?
一般的に女性が担うに適した役割とは?
というものを考えていきたいと思います。

生むのが女性、母乳が出るのも女性であるというところからある程度役割分担というものはせざるを得ないのも事実かと思います。
(もちろん僕は母乳絶対主義ではないです)
昭和の古い価値観であったり、原始的な♂と♀の役割分担などは今の時代にも脈々と名残が存在しているのもある程度は自然な事なのかなと僕は認識しています。
(今回の記事で伝えたい役割というのは、具体的に家事をするとか仕事をしてお金を稼いでくるとかそういう実務的な役割というよりももう少し抽象的な役割の事ではありますが)

さて前置きが長くなりましたが、以上の事を踏まえた上で母性愛と父性愛について書いていきたいなと思います。
まずはより一般的で聞き慣れた母性愛の方から説明していきます。

母性愛の役割とは存在そのものの肯定や受容にあるのではないかと解釈しています。
人間が健康な精神で生きていく為には母親の安全基地としての機能が必要になります。
安全基地とは何があってもここに戻ってくれば大丈夫であるというような存在です。
極端な話をするとたとえ犯罪をしようとも存在自体は肯定されるし愛してくれるんだというような確信を持てる、そのような根源的な自信をもたらすのが母性愛でしょう。

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