幼児型と思春期型の関係性

以前書いた幼児型メンヘラと思春期型メンヘラの記事ですが、付け加えたい事がかなり出てきました。

そこで今回は新たに幼児型と思春期型、そして混合型の関係性について書こうと思います。
幼児型はざっくりいうと幼少期に満たされなかったものを抱えたまま大人になると起こる心の問題群を指しています。
そして思春期型は思春期を乗り越えられずアイデンティティが大人になっても構築できないという状態の事であると書きました。
さらに幼児型と思春期型は混合する場合があり、それを混合型と表現しました。

今の僕が思うのは全ての根源は幼児型であるという事です。
無条件の愛と呼ばれるありのままの肯定を得られなかった幼児型の人は思春期などの時期につまづきやすくなります。
幼児型メンヘラ的な症状が思春期を乗り越える邪魔をしてしまうのです。
幼児的のルーツは親との関係にありますが、友人とはうまくいっている場合には思春期型的な症状は出づらいでしょう。
しかしながら、幼児型の要素があると結構な確率で友人ともうまくいかなくなるという事です。

幼児型の人は自分が肯定されるには条件が必要であるという感覚が強いです。
親の顔色をうかがってきた経験から周りの目を気にして生きるという癖が根深いのです。
そしてそれによって自由に自己表現をする事が難しくなります。
そこで周りの人たちから軽く見られてナメられてしまう可能性が高くなります。

そしてそこでイジメなどに遭ったり、周りの友人たちとうまく馴染めない事で本当はこう思っているけど嫌われたり攻撃されるのが怖くて言えないというような状態により、自己表現をしなくなってしまうのです。
自分に自信がなくなり、自尊心が下がってしまう。
そして段々とアイデンティティを喪失してしまうのです。

最近、何度もアイデンティティというテーマについて書いてきました。
アイデンティティは形成していくものであるというのが元々の僕の持論でした。
しかしながら、アイデンティティというものは完成度は低くともわりと早い段階で生まれてくるものであると今は捉え直しています。
その為、思春期型はアイデンティティがないのではなくアイデンティティを喪失したのだという風に考えています。

というのもただ単にアイデンティティがないのであれば思春期型特有の葛藤というものは生まれにくいからです。
葛藤というのは相反する感情があるから生まれるものです。
そして相反する感情が生まれるのは本当はこうしたいけどできないという本心に対して障害が差し込む事によって生じるのです。
つまり喪失してしまったアイデンティティが自分の内側に残っており、その本心からのメッセージが思春期型的な症状なのではないでしょうか。

そして思春期型の根っこには幼児型があるという事を踏まえた上でもう一つ分かった事があります。
なぜ僕が幼児型と思春期型を別々にカテゴリ分けをしてしまったのかという事です。

それは思春期型に該当する人の中で幼児型的な自分を抑圧している人がいるからです。
幼児型の1番の強いメッセージは「愛されたい」です。
ところが「愛されたい」とすらも言えなくなってしまったのが思春期型という事になります。
思春期型の記事で書いたように思春期型の人は極めてメッセージが不透明です。

思春期型の人は幼児型の「愛されたい」というメッセージに対して嫌悪感を示す場合が多いのではないかと思います。
というのもそれが思春期型の人が1番認めたくない抑圧している感情だからです。
本当は愛されたい、愛に飢えている、でもそれを認めたくないという自分がいる。
何故ならそれを認めた方が愛されないから、嫌われてしまうからという事です。

したがって思春期型の人は表面上は自立したフリをするのです。
その自立したフリの為に他人のアイデンティティを借りたり、その場しのぎで取り繕ってやり過ごすのです。
とにかく周りの空気に合わせる。
よく言えば空気が読める、悪く言えば自分が無さすぎると言えます。

幼児型と思春期型は結局のところ区分するまでもないのかもしれません。
その為、幼児型と思春期型の記事を消す事も考えたくらいです。
ただ一つ言えるのは、幼児型の人が強がって虚栄心で生きていく中で抑圧していた本心が現れてきた時に現れるのが思春期型の症状という事です。
他人の価値に縋るのではなく、自立したい願望の現れと言えるでしょう。

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