外向性•内向性とパーソナリティ障害の関係

皆さん外向的と聞いたらどういうイメージを持ちますか?

外向的の意味はwikipediaでも開いてもらえればすぐに分かると思うのですが、ここでは僕なりに外向的とはなんぞや?という事を書き連ねてみようかなと思います。

「外向」は外に向くと書きます。

つまりエネルギーが外に向いている人を外向的と呼ぶのが適切かなと思います。

似た言葉として「外交」「社交」があるために本来の意味と違った解釈をする人が多いように思うのです。

おそらく「外向」を「外交」と誤用する人が多かったからかもしれませんね。

「社交的」にはコミュ力が高いというニュアンスが含まれているように思います。

緊張や萎縮を感じさせずに人とスムーズにコミュニケーションが取れるというようなニュアンスではないでしょうか。

ただ確かに外向的な人の方が社交的な人が多い傾向にあるとは思います。

外向的な人のエネルギーは外に向いている為にどうしてもそのエネルギーの発散が一人では完結しづらいものです。

内向的な人に比べると人と過ごす時間も長くなりやすいためコミュニケーションの経験も豊富になりやすいように思います。

ただ時々エネルギーが外に向いているものの、話し方が上手じゃなく一方的に相手が興味のない話をし続けてしまうようないわゆる空気が読めない人というのもいます。

内向的なコミュ障よりもある意味このような外向的なコミュ障の人の方が人からは嫌われるリスクが高いように思います。

ちなみに僕もそういう人はすごく苦手です。笑

また内向的な人の中で外向的な人よりもずっと社交的な人というのも存在します。

一人の時間の方が好きで本を読んだり映画を見たりする方が好きではあるものの、人と話すと社交的でコミュニケーション能力が高いというようなタイプですね。

さて前置きが長くなってしまいましたが、実はここからが本題です。

実は前回の記事でも軽く触れた内容になりますが、先天的に外向的であるにも関わらず自分を内向的だと思い込んでいる人が多い事について最近すごく問題だと感じています。

前回の内容と若干重複する可能性がありますがご了承ください。

その人の生まれ持った特性というのが遺伝子などによってある程度決まっている中で親や学校や社会によってコントロールされる事で自分の本来の性質と違った生き方をしてしまう人がいます。

自分のやりたくない事や向いていない事を続けていると人は自信を失い、本当にやりたい事が何なのか自分でも分からなくなってしまいます。

この状態になってしまった人はコミュニケーションを取る時に周りの目を気にして萎縮してしまい思った事を言えなくなってしまいます。

この状態はどんな人にとっても辛くはありますが、特に本来外向的な人がこの状態になった場合は特に辛い状態になるのではないでしょうか。

内向的な人がこのような状態になった場合は、人とコミュニケーションを取る以外の楽しみを見つける事で心理的な健康をある程度保てる場合があります。

本を読む、映画を見る、好きなものを食べる等。

これらは全て一人でも完結できるものです。

ところが、外向的な人というのはエネルギーを自分一人で完結する事が難しいです。

外向的な人がエネルギーを発するにはどうしても自分以外の受け手が必要になります。

何の返答もない壁に向かって話しかけて大満足というような人間はまずいないでしょう。

自分以外の受け手が必要な状態でかつ自分に自信がない状態となると、相手に気に入られようと必死になりやすくもあります。

自分に自信がないと相手に嫌われたり見捨てられるという恐怖心を持ちながら生きていく事になるので、相手に対してどうしても依存的にならざるを得ません。

器用な人であれば、相手に気に入られる為の努力が成功して多くの人に好かれるという可能性はあるかもしれません。

しかしそれは他人の為に無理やり作り上げた自分で自分の本当の姿ではない為に本当の自分を見せたら嫌われるというようなプレッシャーが付きまとう事になります。

良い自分を見せる事に依存し、本当の自分と乖離しやすいのは内向的な人よりも外向的な人なのではないでしょうか。

しかしこの生き方は意外と途中までであればわりと上手くいくように思います。

他人を喜ばせる事や好かれる事自体はむしろ良い事なので、そういう能力を持つ事自体は決して悪いことではありません。

しかしそれを無理して続けている状態となると、いずれ心が荒んできます。

特に問題が出やすいのは恋愛です。

恋仲になった相手ともなると本当の自分を見せたいという自分の欲求が抑えきれなくなります。

相手が寛容であればあるほど自分が抱えた欲求の爆発の可能性が高くなります。

そこで出てきた欲求というのは、本心を抑圧していればいる程どす黒く歪んだエネルギーで放出される事になるでしょう。

素直に甘えたり自分の気持ちを話した事がないので出し方が分からない上に今まで抱え込んで抑圧してきた憎しみをベースに周りの人間を見ているため、攻撃的な形でエネルギーを放出してしまうのです。

この状態になってしまうと「見捨てられる」という不安の通り、本当に相手に見捨てられるリスクが上がってしまいます。

相手が根気強くそれでも付き合ってくれる事もあるかもしれませんが、その場合だと本人が見捨てられることへの恐怖の強さから「見捨てられる前に自分から捨てる」という選択を取る可能性も高いです。

もしくは自分に非があると感じたくないが故に無理やり相手を悪者にして別れるなどの行動も取りがちなように思います。

今書いたような内容は「境界性パーソナリティ障害」や「自己愛性パーソナリティ障害」の特徴とも当てはまるところがあります。

パーソナリティ障害にも他にも演技性パーソナリティ障害や回避性パーソナリティ障害など種類がいくつかありますが、同じように心理的なトラブルを抱えた場合にどのパーソナリティ障害になるかは先天的な性格によって違うように思います。

これは全く科学的根拠のない仮説ですが、自己愛性パーソナリティ障害や境界性パーソナリティ障害や演技性パーソナリティ障害などは本来の性格が外向的である場合になりやすいんじゃないかとふと思いました。

パーソナリティ障害の原因に愛情飢餓があるとして、そこに対してどういう反応を示すかによってどのパーソナリティ障害になるかが変わってくるのではないかという仮説です。

愛情飢餓状態によって承認欲求や自己顕示欲が過剰になっているのが境界性パーソナリティ障害や自己愛性パーソナリティ障害や演技性パーソナリティ障害。

つまり欲求が外に向いている状態ですね。

それに対して回避性パーソナリティ障害や強迫性パーソナリティ障害に関しては自分の内なる世界を汚されたくない邪魔されたくないという強い自己防衛の存在を感じます。

愛情を貰えなかった事によって生まれた強い不信感から他人に対しての警戒心が強くなり、自分の内なる世界を汚される事を恐れ、そこに立ち入る事を禁じてしまうと解釈できます。

つまり根っこにあるのは内向的な特性であるとそう考えています。

個人的には本人も周りも心理的により辛くなりやすいのは、外向的な人が陥りやすい「境界性パーソナリティ障害」や「自己愛性パーソナリティ障害」などの感情の起伏が激しく周りを巻き込むタイプのパーソナリティ障害なんじゃないかと感じています。

書いている途中で僕の脳(ADHD脳)がパーソナリティ障害と結びつけ始めてしまってだいぶ話が逸れてしまいましたので、いったんもともと話そうと思っていた話に戻します。笑

自分がもともと内向的な人間なのか、外向的な人間なのか、それを知る事がとっても大事だよ!という事が言いたかったのです笑

特に外向的な人は自信を失う事で内向的な行動パターンを取りがちです。

コミュニケーションを取るのが下手だからとか周りに気を遣って疲れてしまうからという理由で自分を内向的だと思っている人には一度考えてみてほしいのです。

本当に自分が内向的な人間なのかを。

自分の中にある内なる感情や思考を外に出したいという気持ちが溢れそうな人は本当は外向的なんじゃないかと疑ってみてほしいのです。

精神的にしんどくなったら第一に休むのが良いと言われがちですが、それと同じくらいエネルギーの発散を必要としている人もいるんじゃないかと思っています。

外向的な人はいくら休んでも疲れが取れない場合があります。

エネルギーを溜め込み滞る事で、自分から自然と湧いてくるエネルギーがどす黒く歪んだものになってしまうからです。

外向的なエネルギーには消費期限のようなものがります。

消費期限が切れたエネルギーをいつまでも溜め込んで吐き出せない事によって心身が不調になるのは当然の事です。

消費期限が切れたエネルギーは非常にネガティブなエネルギーになるので、出し方を間違えると人を傷つけたり不快にさせるリスクがあります。

しかし出さない事には消費期限切れのエネルギーが蓄積されて悪いエネルギーで自分の中がいっぱいになってしまい、その人自身を飲み込んでしまう事になります。

消費期限が切れる前に感情を出していくのが1番ですが、もしそれができずに鬱屈した気持ちを溜め込んでいる場合にはカウンセリングを受けたりするのも良いかもしれません。

カウンセリングであれば日常生活ではなかなか話すタイミングがないような事まで話せるチャンスが得られるかもしれません。

とはいえ僕自身がカウンセリングを受けた事がほとんどないので何とも言えませんが。

そして自分の感情の賞味期限を自分で意識的に把握しようとする事がとても大切です。

抑圧してやり過ごす事は短期的に見たらラクな方法ではありますが、予後が非常に悪く長期的に見るとデメリットが大きいように思います。

鮮度の良い感情と共に生きられたらきっともっとラクに生きられるとそう思います。

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