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【映観】『ブルーベルベット』(1986)

『ブルーベルベット』(Blue Velvet)(1986)

監督・脚本: デヴィッド・リンチ
出演: カイル・マクラクラン、イザベラ・ロッセリーニ、デニス・ホッパー、ローラ・ダーン

86年公開当時、映画館でちゃんと観ました。
僕は18歳くらい、TAさん*と行ったのを覚えてる。(*青の時代・参照)
あまりにも衝撃的だったのですごく覚えていた、積もり。
当時はこういった今でいうミニシアター(単館)系の映画が花盛で、リンチもそうだしヴィム・ヴェンダース、ジム・ジャームッシュ、ジョン・ウォーターズ、そういった気鋭の監督から、「エル・トポ」のホドロフスキーやテリー・ギリアム、果てはゴダール、フェリーニなんか得意げになって詰め込んでいた。
たぶん何も見えていないんだけど、きっとどこかに引っかかっていて、その先へ繋がっていくコトは予見できた。
雰囲気だけなのかも知れないが、惹かれるということはそれを求めているのだろう。

ボビー・ヴィントン「ブルー・ベルベット」が牧歌的に流れる、
よくあるアメリカ郊外、同じような住居が並ぶその庭の芝、スプリンクラーから繋がったホースに絡まり老人が倒れ込む、ホースから噴き出る水を犬が一生懸命に舐めて呑む、消防車から笑顔で手を振る消防士、原色の花に真っ青な空、もうこれでつかみはオッケーてなぐらいリンチの世界観。
そこに横たわる引き裂かれた耳のクローズアップ、、、それは嘘。
てっきり始まりのシーンだと勘違いしていたが、その千切れた耳が出てくるのはそこではなかった。
記憶というのは曖昧なもの、それに僕はこの映画の記憶はその耳でしかなく、その後の話は忘却していた。
青々とした芝に捨てられた耳の残骸、そして耳の穴の闇へクローズアップ、暗い罠へ落ちていくかのような予感、
それしか覚えていないのだった。
耳を拾うのが若き日のマクラクラン(学生役であるが27歳くらい)やはり彼は「ツインピークス」のイメージが濃厚すぎて、この映画では幼く初々しい。
その耳を近所の警官に届け、その娘がローラ・ダーン、こちらも初々しい(リンチ作ではお馴染み)
事件が始まった。
好奇心でどんどんその事件に深入りしていくジェフリー(マクラクラン)は警官の娘と共に、クラブの歌手ドロシー(ロッセリーニ)へとたどり着き、その彼女のアパートへ忍び込み真相を探ろうとするが、、、

敵役は、我らがデニス・ホッパー、たまらない倒錯した男を演じる。
ハリウッドで干され10数年、本作の圧倒的な狂った演技で完全復活を遂げたというコトだろう。
F#CKしか言っていない。(彼についてはいつかちゃんと書きたい!)
やはりこの作品に於ける倒錯した悪役像は、後の映画界に大きく貢献しているんじゃなかろうか。
ウィリアム・デフォー、ゲイリー・オールドマンと屈折し偏向した狂気を受け継ぐ役者はいれど、デニス・ホッパーは限りなく本物のアウトサイダーだ。
本物だから、演技をしているというよりはそのまま素でやっている感じが、とても狂ってる。

つまり、全体的に、狂った映画だ。
さすがはリンチ、変態の極み。
彼の嗜好性を余すコトなく描き切ってるので、後に続くリンチ・ワールドの初動である。
「イレイザーヘッド(1976)」は私小説、「エレファント・マン(1980)」は、、、う〜んもう一度見たい、
実はこれも中学生の時に映画館で観てフツーに泣いてしまうのだが、そこじゃないような気がするのです。
「デューン/砂の惑星(1984)」については制作上の問題を有してるのでなんとも言えないけれど、駄作。
そして本作を経て、傑作「ワイルド・アット・ハート(1990)」
さらに変態シリーズ「ツイン・ピークス」へと続いていくのです。
随分ぶりにこれ観て、この奇人は侮れないと思いました。
最大の賛辞を込め、云います。
「アンタどうかしてるよ。好き。」

では、キャンディのやうに派手な服着た道化者が出てくる歌、
ロイ・オービソン『イン・ドリームス』でお別れしましょう。
彼も狂った男だ。


Blue Velvet #一骨画


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