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ザオ・ウーキー - 僕の好きな藝術家たち vol.3

好きな藝術家について書きたいように書いてみるシリーズ。その藝術家についてのバイオグラフィとか美術史的意義とか作品一覧とかはインターネットで他のページを参照してください。


07.06.85

深い海の底、あるいは、遠い宇宙の彼方。

この絵の前に初めて立った時、青い色に吸い込まれるような感覚、ここではない何処か静かな世界で、聞こえない音を聞き、動かない空気のそよぎを感じた。

青は特別な色だ。フェルメールのラピスラズリ、北斎や廣重のベロ藍、どれも時代を超えて美しい。目にした瞬間の鮮やかさは深い印象を残す。

しかしザオのこの絵の青は、美しさだけではなく、静謐さと激しい力とが混ざりあったような求心力があって(それにはカンバスの大きさも影響しているだろう、軽く100号を超えるだろう大きな絵だ)、身体全体が持っていかれるように感じた。

モネの大きな絵を見た時にも似たような感覚に晒されたけれど、モネが蕩けるような光の祝祭の中へ誘うのと対象的に、ザオの描く青の静謐な世界では、祝静かな祈りの時間が流れている。

テーマやモチーフを何も表さない無機質な数字だけの日付のタイトル。過去の日付なのに、未だ到来しない瞬間を描いているようだ。いやもしかしたら、この世界とは異なる世界線で、こんな風に世界は変貌したのかもしれない。

まだ見たことのない世界。しかし何処か懐かしさを覚える世界。

ザオ・ウーキーは数年前まで存命だったアメリカの作家で、ブリヂストン美術館が何点か所蔵している。亡くなった時にはブリヂストン美術館(もうアーティゾンに変わっていたっけ)で大規模な追悼展も行われたし、最近も比較的展示される機会が多い作家なので、ポロックやニコラ・ド・スタールとは違って見る機会も作りやすい。

一人で、時には誰かと一緒に、何度もこの絵の前に立った。それぞれに特別な時間。これからも、そうするだろう。

大仰な企画展で滅多に観られない作品を観るのも楽しく印象に残るけれど、大好きな絵の前に、気軽に立つことができるという歓びを与えてくれる作品。

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