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ゲルハルト・リヒター - 僕の好きな藝術家たち vol.11

好きな藝術家について書きたいように書いてみるシリーズ。その藝術家についてのバイオグラフィとか美術史的意義とか作品一覧とかはインターネットで他のページを参照してください。


今年(2023年)東京国立近代美術館で開催されたリヒター展を観た。

リヒターは数年前に大阪の国立国立国際美術館のコレクションでSTRIPを観ている。その時はリヒターという作家を知らなかった。だけど、STRIPという作品は忘れがたく記憶に刻まれた。

だから東京で大規模なリヒター展があると聞いて迷わずチケットを買い求めた。

展覧会は素晴らしかった。

世評ではやはり「ビルケナウ」が大きな反響を呼んでいたけれど、どうも僕にはあまり響かなかった。それよりもSTRIPや、その他ロールオーバーな表現抽象主義的作品に魅せられた。ケルン大聖堂のステンドグラスをリヒターが手掛けたということも知って、ますますドイツに行きたくもなった。

ケルン大聖堂のステンドグラス

あるいは、ポップアートムーブメントにリヒターなりのアプローチをしたこんな作品が僕にはとても面白かった。ポップアートは余り好きではないのに。ケルン大聖堂のステンドグラスは、この作品のアプローチの延長にあるように思えるが、大聖堂という特殊なコンテクストを与えられて、どのような感興を与えてくれるのだろう、想像するだけでワクワクする。

十年前にやはりここ近代美術館でポロックに打ちのめされてから、僕の現代アート遍歴は始まったのだけれど、長い時間をかけてポロックからリヒターへ辿り着いたことは、とてもしっくりと来る。同じようなところをグルグルと回っているだけとも言えるけれど、僕の中にある、ドロドロとした情念を掻き立てる作品たちには、何か僕を共鳴させる要素があるんだろう。

ロールオーバーなリヒター

そこまででもないけれどそれなりの頻度でアート作品と接していて、理屈や予備知識無しに惹き込まれガツンと殴られたような衝撃を受ける作品もあれば、ふーん、とその前を数秒で通り抜けてしまう作品もある。

全ての出逢う作品から、深い感動を受ける事ができたならとも思うけれど、残念ながらそうではない。

それら二つの種類の作品を分かつものはなんだろう。僕を暴力的に惹きつける作品は何故そういう形で僕の前に存在するのだろう。

多分言語化出来るような理屈はないのだろうけれど、そういう作品との出会い頭の衝突を求めて、僕はまた美術館へ足を運ぶ。

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