見出し画像

ニコラ・ド・スタール - 僕の好きな藝術家たち vol.2

好きな藝術家について書きたいように書いてみるシリーズ。その藝術家についてのバイオグラフィとか美術史的意義とか作品一覧とかはインターネットで他のページを参照してください。


福永武彦の『海市』を読んだのは、まだ10代だった。謎めいた人妻安見子に惹かれていく草臥れた中年の画家。二人の悲劇的な恋愛をいささか実験的な手法で描いた作品が、何故まともな人生経験も恋愛経験もない若輩にうち震えるほどに響いたのか、いまだに分からない。しかしこの作品は、それから30年以上経ってもなお、僕の中で他と比べるべくもない唯一無二の作品として、輝き続けている。

今は小学館のP+D BOOKSレーベルに入っているけれど、僕は新潮文庫で持っている。

新潮文庫の表紙を飾っているのが、ニコラ・ド・スタールという画家だというのは、かなり後になってから知った。

表紙は確か「海辺の街」みたいなタイトルだったような?

抽象と具象の間を彷徨う主人公の画家・澁太吉の造形に、ニコラ・ド・スタールの実人生が影を落としていることを知るのも。

やがて僕も美術鑑賞を楽しむようになって、当然ニコラ・ド・スタールの絵を観たいと願っていたのだけれどなかなかその機会は訪れず、最初にド・スタールの絵を観たのは2011年にブリヂストン美術館(当時)で開催された『アンフォルメルとは何か』展。

そこには小さな「コンポジション」という作品がかかっていた。

福岡市立美術館の所蔵

平面では分かりづらいのだけれど、この絵は油彩が分厚く何重にも塗り込められていて、そこに、自ら命を絶った藝術家の、自らの内に巣食う狂気と格闘する絶望的な闘争の過程を観たように感じた。くすんだ色彩の図像たちの奥に少しだけ覗いている赤が、抑えようとしても湧き上がってくる情念のようで、切なくて苦しくて、絵の前から動けなかった。

vol.1で取り上げたポロック同様、ニコラ・ド・スタールもまた、狂気と世界の狭間で足掻きながら描いた藝術家だったのだと思う。二人とも、アンフォルメルというムーブメントを形成した同時代の藝術家というだけではなく、幸せな形では人生を終えられなかったところにも、何とも言えないシンクロニシティを感じてしまう。

その後大阪の国立国際美術館や愛知のメナード美術館でもポロックを観ることができたけれど、まだまだド・スタールの知名度は高いとは言えないし、その作品の魅力に比して、低すぎる注目度に忸怩たる思いがする。

と悔しがっていたら、NHKで放映された『岸辺露伴は動かない』というドラマで、主人公の部屋にド・スタールの絵が飾られているシーンをテレビで目にして、魂消た。主人公は漫画家で、ド・スタールの絵をこよなく愛しているという設定らしい。ドラマは好評だったようで映画まで作られたので、どうかそろそろ何処かの美術館で大規模なニコラ・ド・スタールの回顧展を日本でもやらまいか。機は熟していると思うのだが。

なお、フリオ・リャマサーレスというスペインの作家(1955〜)の『黄色い雨』『狼たちの月』でもニコラ・ド・スタールの絵が表紙に飾られている。

『海市』のような恋愛小説とは趣きを異にする小説だけれども、どちらも素晴らしい作品なので、ド・スタールの絵が表紙の本は良い、という法則があると思うので、出版社も遠慮?せずもっとド・スタールの絵を使ってください。そして日本にド・スタール再評価の機運を巻き起こしましょう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?