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きみ子と自己肯定

きみ子は、19年前に84歳で亡くなった母方の祖母。

理容室を営んでおり、1階が店舗、2階が住居という構造だが、プライベート空間がほとんどなかった実家。当時、わたしと母が一緒に使っていた4畳半の部屋は、女性従業員の更衣室も兼ねていた。学校が休みの日でも必ず8時までには起きて、布団をたたんで押し入れにしまう。行儀作法にとても厳しかった祖母は、「従業員が出勤する時間に、うちの者が寝ていてはしめしがつかない」と、わたしが出版社に就職して働き始めるまで朝寝坊することを決して許さなかった。

出版社を辞めてフリーランスなってから、よく注意されたのは電話の応対について。
仕事のオファーがほぼ携帯電話にかかってくる中で、頻繁に仕事をしている相手に対して若干カジュアルな話し方になることがあるのだが。祖母はその様子を見るたび、わたしが電話を切ったそばから「必ず最後に“お電話ありがとうございました”をつけなさい」と注意するのだった。
祖母の言いたいことはわかる。わかるけど、仕事相手とのコミュニケーションを円滑にするために「丁寧ながらも気を許している感じ」を出したほうがいい場合もある。そこはわたしのさじ加減に任せてほしいんだけどなぁとおもいつつ、「うん、わかった」と返事をしていた。おばあちゃん孝行だ。

その一方で、祖母はわたしを認め、やりたいことを応援し続けてくれた。

いちばん印象に残っているのは、わたしが30歳になったばかりの頃。東京でひとり暮らしをして数年経っても彼氏ができず、実家に帰ったついでに祖母に愚痴ったことがある。
すると祖母は、「あら、あら、最近は情緒のある男性が少ないのね」と言ったのだ。

仕事と生活のアンバランスやモテるための努力不足など、原因はわたしにあるのではなく、わたしを選ばない男性にあるのだというロジック。
それを聞いたわたしは却って、“ああ、わたしは自分を磨いて、もっと魅力的にならないといけないなぁ…”とすさまじく内省したのだった。

祖母の言葉に当時のわたしがとても救われたのはもちろん、今でもずっと救われ続けている。祖母はわたしの自己肯定感を育み、社会的・精神的自立へと促してくれた。小さい頃のわたしにとって、祖母は目の上のたんこぶ的存在だったけど。大人になってから、さらには結婚してこどもが生まれてからは、ありがたさがよくわかる。

わたしはわたしのことが好き、それは祖母からの贈りものなのだ。

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