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ぼくたちはわたしたちは、なぜSNSに夢中なのか

いくつかのタスクをこなした後、一息つくと僕はおもむろに携帯を取り出し、Instagramで友人のストーリをチェックし、その後Twitterのタイムラインをスクロールし始めた。そして15分後、スマホを閉じて他の作業に取り組むも、また20分も経つとなんだか作業に飽きた気がしてSNSを開いては無益な情報の海に飛び込んだ。

中高年の方々には理解されないのかもしれないが、こうした行動パターンは、現代の若者がなんの気無しに繰り返しているものだ。ぼくらは、暇な時間があればSNSを開いて、友達の投稿を確認するし、何か作業を行っては「休憩」の一環として、SNSを開いたりする。

だけれども、自分が繰り返すこの日常的な行動パターンを一度真剣に考えると、やっぱりこれっておかしい。なぜなら、Instagramを見て、友人が今カフェで勉強していることや、また別の友人が箱根に旅行している事を知ったって僕は全く嬉しくないし、そんな事知らなくたってなんの問題もない。SNSを使う若者の多くが、「今友人が何をしているのかを知りたいですか?」と言われれば、別に興味ないと答えるだろう。ほとんど喋った事がない人や、そこまで仲良くない人が”今何をしているか”を知ってどうするっていうんだ。でもだとすれば、なぜ、僕たち若者はこんなにもSNSに夢中になってしまうのだろう。

なぜSNSは僕らを魅了するのか

SNSで得られる情報の多くは、友人もしくはそれより関わりのない人の日常的な「行動」である。その行動の中には、勿論、僕たちが魅力を感じるものも含まれているだろう。例えば、地元の美味しいレストランについての投稿であったり、まだ見たことのない映画の情報であったり。だからって、それが僕たちがSNSを頻繁に見る理由にはならない。そうした有益な情報を集めたいのであれば、一日に一回SNSを開けば事足りるであろうし、そもそも、本当に美味しいレストランが知りたければ、ネットで調べたり詳しい人に聞いたほうがよっぽど有益な情報が得られそうだ。ぼくらの友人が、映画や食にかなり精通している人なのであれば別であるが。

今まで、否定してきた事。すなわち、他人の行動にそれほど興味がある訳出はないとか、SNSからは大して有益な情報が見られないことなどは、あくまで意識下で僕らが考えている事である。でも、人間の面白いところは、僕らがする行動や決断の多くは意識せずに行っているということである。
明確な目的や理由を持ってSNSを使えば、少なくとも夢中になることは無いだろう。どうやら僕らがSNSに夢中になる理由は、僕らの意識外のところにある、そんな気がする。

ドーパミンという悪魔

僕らの意識外で僕らをコントロールしている犯人、それは、「ドーパミン」である。ドーパミン系は、予期せぬものを見出したり、新しい事実が期待されるときに活性化される。重要なところは、ドーパミン系が活性化されるのは、実際に新しい事実が発見されたときというよりも、新しい事実が「期待された」ときであるという点だ。この働きによって、人間は自分が期待したものと、事実との差を埋めようとして生きている訳である。大昔であれば、とても美味しそうな食料が見つかりそうな状況で、僕らを狩りという行動に突き動かしたのがこの「ドーパミン」であった。では、現代におけるこの美味しそうな食料はなにか?それは情報である。

情報が欲しくてたまらない

SNSで流れてくる他人の行動も、宣伝も、そのすべてが「情報」である。Instagramでフォローしている500人の内、本当にその人の行動や趣向が知りたい人(例えば、好きな人であったり、尊敬している人、憧れている人)なんて、50人も居ないだろう。そうした自分の知りたい「情報」を求めているのであれば、一日に一回SNSを確認すればいい。意識的に考えれば勿論そうだ。
しかし、ドーパミンからしてみれば、こうだ。「もしかしたら、50人の気になる人が”今”投稿しているかもしれない。」と。ドーパミンが何かを期待してしまった以上ぼくたちは、SNSを見ない訳にはいかない。たとえ、一度見て知りたい情報が無くても、「10分経てば、もしかすると気になる投稿があるかもしれない」とドーパミンが僕らを突き動かす。そこに期待がある限り、ドーパミンの働きを止める事はできない。それが全く興味のない450人のための時間だったとしても。

無意識を意識的に制御する

じゃあ、僕らはドーパミンに従って、一日何回もSNSをチェックし、意味のない450人の投稿に多くの時間を使わなくてはいけないのか。当然、そんなことはない。ドーパミンがいくら働きかけて、なんだかSNSが見たい気がしても、一度立ち止まっって、意識的に「本当に見たいのか、なにか有益な情報が得られるのか」を考えれば、スマホを置くことができるだろう。なぜなら、我々は、意識下では、「450人の友人が何をしているかなんて興味ない」のだから。
逆に、一度ドーパミンに突き動かされて、意識的になることを忘れてしまえば、ぼくたちは無益な情報の海に溺れる事になる。SNSは良くできたもので、ぼくたちが受け身で何もしなくても、ドーパミンが欲する情報が流れてくる。最初は、ただ足を濡らす程度で入った海でも、気づいたときにはドーパミンというボートに乗せられて、随分沖の方まで連れて行かれてしまう。それが無益な情報の海であるとも気づかずに。

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そうはいっても…

見てしまうのがSNS!!!
Twitter、Instagram、LINE最高!!!






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